バブルの日本とロンドンとウィーン。そしてまだみぬパリ。


いったいいつの話をしているかというと、
今回の旅で父親と話したことです。
日本の芸術文化をどうしたらよいかという話になりました。
結論としては、
あのバブル期と呼ばれた時代があと10年続いていれば日本はちょっと変わっただろうという話です。
それをウィーンとロンドンを眺めながらした会話を
ここにまとめてみたいと思います。


さて、
ロンドンは、かつて世界を制した大英帝国の首都です、
アフリカ、インド、アメリカ大陸など、
現在英語が国際的に通じているようになったのはアメリカのせいだけど、
なにしろイギリスはそのアメリカの文化の種を育んだ国だといっていいでしょう。


イギリスの産業革命は世界中の産業を変えたし、
ビートルズは音楽を変えたといってもいいかもしれない。


そういう国の背景にあったのは、
どうやら庶民だったような気がします。
あるいは中産階級がお金を持って活躍したというのがあったからかもしれません。
貴族が力を弱めて、だんだんと普通の人が芸術を好むようになった。
もともと庶民と貴族の中間にあったシェークスピアの演劇は
400年の時代を経てなおその脚本を変えることなく現代に生きています。


さて、ウィーン。
ここはかつてハプスブルグ家の栄華を極めた証が数多く残っています。
街のいたるところに見ることのできるさりげない彫刻。
家の外壁は必ず何かしらの装飾を施してあります。
バロック式の教会がしっかりと天を貫き、
ドーム式の屋根がやわらかさを演出しています。
19世紀末に起きた退廃芸術、
ウィーン印象派クリムトエゴン・シーレのなんともドロッとした空気が
ウィーンの町を支配しています。
かつてヨーロッパの中心地であったという誇りがきちっと残っていて、
あまりにもヨーロッパすぎるヨーロッパのような気がしました。

気づいたのは、ウィーンの町にはあまり移民がいません。
アジア系の顔をした人はすべて観光できている韓国人か日本人です。
中央アジアの顔はまったく見ませんでした。

この街は、庶民ではなく、貴族が作った町なんだとつくづく思いました。
お金の有り余った貴族がやることといえば、
食欲、性欲のどちらかに傾くように思いますが、
ウィーンの貴族たちはそれをすべて街の芸術につぎ込んだのではないかと思えました。
あるいは自分たちの絵画コレクションに世界各国の芸術品を加える
ということだったのだと思います。

もちろん食事はおいしいし、美男美女は有り余るほどいるウィーンの街で
しっかりと持続可能な贅沢をしていたのが貴族だったんだと思いました。


秀吉がキンキラキンの茶室を作ったことは有名ですが、
所詮秀吉も庶民なわけで、
金ぴかの良さなんかすぐに飽きることを、
本当の貴族は知っていたはずです。

ロンドンの金持ちたちも、秀吉と少し似たところがあったようです。
それは劇場を見比べると一目瞭然でした。



写真がありますのでそれを見てください。


イギリスのロイヤルアルバートホール。

7000人が収容できる、イギリスでは大変に権威あるホールです。


ウィーンのオペラ座

毎年ニューイヤーコンサートが行われる世界的にも有名な劇場です。


明らかにウィーンのオペラ座のほうが質素です。
無駄な飾りつけは一切してません。
アルバートホールにはパイプオルガンがあるので多少違いますが、
なにしろウィーンのオペラ座はハードよりソフトで勝負していたことがわかると思います。


そう、ウィーンのオペラ座はカンパニーがすばらしかった。
ちょいと空想を働かすと、
ウィーンの貴族たちは、見る芝居を育てるところにお金をつぎ込んだんではないだろうか。
逆にロンドンの金持ちたちはとにかく劇場内での雰囲気へ
(芝居そのものではなく、空間へ)投資をしていったのではないかと思います。

オペラ座に入ったことだけでも名誉あることなのに、
どうしてそれ以上雰囲気を作り出す必要があるだろうか、
それよりももっといい作品を見よう、という気概が
ウィーンのそこここに感じられました。


ロンドンのごてごてした内装も別に悪いわけではありません。
劇場内空間に入った時に感じる豪華な気持ちはたしかにいいものです。
なにしろウィーンオペラ座の正面玄関はどこの劇場よりもごてごてしてました。
そのごてごてを劇場内部まではしないという潔さがありました。

観劇中に雰囲気を感じるか、
玄関で満足するか、
さ、どちらがいいかなんて、もう、どっちでもいいに決まってます。



そして、日本の話になります。
かつてバブル経済と呼ばれた日本。
バブル崩壊後10年以上低迷を続けていますが、
あのバブル時代の頃に、持続可能な芸術への投資を
いったいどれだけの人たちがやってのけたんでしょうか。

アサヒビール本社の金色の炎
東京芸術劇場の欠陥パイプオルガン
ゴッホのひまわり
企業メセナ
ゆとり教育

みんなすぐに終わってしまいました。
育った人間といえば、
いまの30代後半から40代のバブル世代です。
援助交際はする
まだバブルを引きずっている
フェラーリ
大理石の壁、
ベルファーレ
ジュリアナ東京
一瞬にして借金の形に取られていきました。

大変に刹那的な贅沢を楽しんだところで
残ったものは何もなく、失われた10年を迎えてしまいました。


あのバブルの時代、
ボストン美術館から浮世絵をすべて買い戻していれば、
上野あたりの美術館は世界有数の
「浮世絵を見るならここへ行け」っていう
プラド美術館くらいの規模にはなったはずです。

昨年行われた若冲の展覧会だって、
あのコレクションを見たときに
「どうしてこれが日本にないんだ」
と歯軋りをした日本人は多かったはずです。
何で日本の芸術を見るのにアメリカ人に金を払わなきゃいけないんだと
悔しい思いをした学芸員はたくさんいるんじゃないでしょうか。


僕らはゴッホを見にアムステルダムへ行きます。
ベラスケス、ゴヤを見るためにプラドへ、
クリムトを見るためにウィーンへ

上野の美術館に僕らはナニを見にいけばいいのでしょうか。
ロダンかな。

どうして見返り美人を平常展に出さないんでしょう。
弥勒菩薩みたいにして見せればいいのに。
国宝をこそ見せろよと言いたいです。


バブル期に育った演劇ってなんでしょうか。
浅利慶太ですか。
野田秀樹ですか。
鴻上尚史ですか。
ってか、個人ですか。

どうして文学座が、劇団四季が、
ロイヤルシェークスピアカンパニーみたいになれないのか
不思議で仕方ないです。
頑固な演出家がいるのかな。
役者たちが頭固いのかな。

一つの劇団が分裂していくのではなく、
分裂を起こす前に分裂したい連中のやりたいことをやらせるっていう
劇団そのものの懐の広さを見せ付けたらどうなんでしょう。


ピーターブルックのいなくなった後の
ロイヤルシェークスピアカンパニーは
それなりにがんばって今最高に面白いシェークスピア
安心して見られる劇団になっています。


歌舞伎か、今の日本に希望をたくせるといえば、
歌舞伎しかないのか。

あるいは吉本興業か。


あと10年ほどお金が有り余った日本経済があれば、
もうちょっと芸術センスを磨けたんじゃないかと思います。


パリに行けばなにかまた分かるかもしれません。
かの地にはコメディ・フランセーズがありますし、
パリ・オペラ座がありますし。
庶民が金を持ったのと、
貴族が金をもてあましたのがごちゃごちゃになっているはずです。


英雄一人に頼るよりも、
庶民の底上げこそ大事なんじゃないかと思います。