オランジュリー美術館は必ず行くこと。

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チュイルリー庭園のセーヌ川岸にある、ちょいとモダンな屋根を持った、
ぱっと見、外見はギリシャ風の古い感じ、内装はモダンな硬質なコンクリートの塊でした。
建築の種類の名前をここですらすらと言えればかっこいいのだけど、
バロックもゴシックもよくわからないので(いや、わかるけれど)。
二階建ての小さな美術館でした。
去年の秋にリニューアルオープンしたばかりということだったのだけど、
訪れる人の数はまあまあふつうでした。シーズンオフっていうのもあったのかも。


モネとポールギヨームさんのコレクションに会えます。

モネを見ないで帰ったらだめです。

ここの名物はモネの睡蓮の部屋で、
入り口を入ってそのまま直進して厚いコンクリート打ちっ放しの壁の向こうに
真っ白な空間が広がっていました。

天井は外の光を取り入れているのだけれど、
ガーゼのような布がカーテンのように天窓を包んでいて、光を和らげています。
壁の上部に埋め込まれた間接照明が真っ白な空間をさらに白くして、
部屋の360度を埋めるモネの睡蓮を浮かび上がらせます。
なにしろ、モネが自らこの美術館を選んで睡蓮を置かせたというんだから、それなりの場所になっているわけです。


こういう部屋が二つ続いています。ものすごく贅沢な美術館です。
写真も撮り放題だったし。
入り口側の部屋は夕日と夜の睡蓮を。
奥の部屋は朝と昼の明るい睡蓮を。
僕は奥の部屋のほうが好きでした。
わかりやすかったし、
なにしろあの部屋の真ん中にテーブルを置いてお茶を飲んでみたいと思った。
ぐるり絵に囲まれると、だんだん、ホントに自分があのジュヴェルニーの庭園にいるんじゃないかと、
池の真ん中に浮かぶテラスにいるような錯覚を覚えて、素敵でした。


もう、モネで大満足だったんだけど、下の階には同じくらいの驚きが待っていました。

ギヨームさんちのコレクションの数々。

オランジュリー美術館のコレクションに多大な影響を与えたポール・ギヨームさんのコレクションが
ずらっと並んでいました。
ポール・ギヨームさんは二十世紀前半のパリのコレクターさん。
去年日本でも話題を呼んだ、エコール・ド・パリの中心人物でした。

まず飛び込んでくるのはルノワール

ピアノを弾く二人の女の子だったり、奥さんのヌードだったり。みんなぶよぶよなんだけど。
色鉛筆で書いたような独特のタッチがもう、まさにルノワールでした。

セザンヌルノワールの隣に並びます。

どこかゆがんでいたり、なんかおかしいところがいかにもセザンヌで。
この人は絵がうまい人だったんだなと、思いました。
いや、もちろんうまくて当たり前なんだけど、この人がその後の芸術シーンの「父」と呼ばれるわけだから
なんだか納得してしまいました。

マリー・ローランサンの部屋。

ちょっと隔離された部屋すべてがローランサン。7、8点ほど並んでいます。
水彩の、いくつものブルーと黒と紫の淡い世界がぼんやりと浮かんで、
それぞれの絵に描かれた女性たちの瞳が、いわさきちひろの世界でした。

続く部屋にアンリ・ルソー

ツッコミどころ満載のルソーさんの絵はもう、ホント好きです。
この美術館もちゃんとつっこめる絵があって。
一つは「Old man Juniet's Trap」(英語名ですいません)っていうもので、
馬車に乗る五人が全部こっち向いてて、全然動く気配のない馬と、
それをぼんやりと待っている犬。
みんながぼんやりしてて、でもどこかみんな楽しそうで。
馬車は路肩ぎりぎりに置いてあって、
それでようやくその馬車が並木道の内側にいるんだということがわかるっていう、
もう、遠近感とか影とかむちゃくちゃで、
「あー、好きだったんだね、絵を描くのが」っていうかんじです。


税務署をやるかたわら、こつこつと絵を描いていたっていうエピソードもあって、
素朴派の名に恥じない、正真正銘の絵が好きなおじさんっていう感じです。
この人、たぶん絵を描いているときは悩みとかなかったんだろうなと思います。
描いたあとは悩みもするだろうけれど、絵がルソーさんを助けてくれてたんじゃないだろうかと
勝手に想像してしまいます。

あと、モディリアーニ

一目見ただけでモディリアーニだとわかるあの、アーモンド形の青い眼。
もしかして法隆寺釈迦三尊像も、モディリアーニが作ったんじゃないかと
そういうアホな空想をしてしまいます。
その中に一つだけ眼がちゃんと描かれた肖像があって、うれしくなりました。

次はピカソマチス

もう、言わずと知れた二人の巨匠の絵が並んでます。
もうここまでくるとポール・ギヨームさんの力はもうとんでもないところまで来たなと、
ホント感心してしまいます。
きっと、「ギヨームさんに買ってもらったよ!!」って喜んだ無名の画家は多かったんでしょう。
ピカソもその一人だったのかな。
若い頃の作品(青の時代を抜けた頃の「抱擁」)と
後期の作品(1921年ごろのもの)が混じっていて、ギヨームさんのちゃんとした鑑識眼というか、先見の明というか
まあ、偉い人だと思いました。
マチスについてはよくわからないのでここには書きません。

大量のアンドレ・ドラン(André Derain)

あまりよくこの画家を知らなかったんだけど、
なにしろいっぱいあったので、ギヨームさんのお気に入りだったのかな。
静物画が時々すごく良くて、
真正面から見ると普通の絵に見えるのだけど、
離れて斜め横から見ると写真のようにキラキラして見えるっていう
とんでもない裏技を持った画家です。
女性のヌードをいくつか描いているのだけど、そのどの女性も二ないし三段腹で、
しかもドランはこのブニッとしたお腹にこそ焦点を当てていて、
彼のものすごい「お腹フェチ」具合が見てとれます。

モンマルトルの風景画家、ユトリロ

一緒に行った友達がモンマルトルが好きだというので、
このユトリロのコレクションを見たときは興奮していました。
ここはどこを描いている、ここの道からこっちを見て描いている、
この絵はこの風景画と続いている
などなど、マニアックな話をして盛り上がりました。
ユトリロは本当にモンマルトルばかりを描いていたらしく、
何気ない風景を切り出していたようです。
ユトリロの人気の秘密は、たぶん、
マニアックすぎるほど忠実にモンマルトルを描いたところにあるのかもしれません。

最後は屠殺場の画家、ハイム・スーチン(Chaim Soutine)

http://www.musee-orangerie.fr/pages/page_id19334_u1l2.htm
最後の部屋を飾っていたのは赤が鮮やかな鳥の死体でした。
ハイムスーチンは静物を描くのだけど、そのモチーフは生肉で、
牛やら七面鳥、ウサギなど、ちょっと気分が悪くなりました。
そのタッチはホントグニュグニュしてて、ナマっぽさがそのままでてる感じです。

そういうわけで、一休み

同じ場所で「1934年にオランジュリーで行われた美術展の再現」っていうのをやっていました。
特別展で、リニューアルを記念してやったみたいです。
うれしかったのは「イカサマ師」があったこと。
いつもはルーブル美術館にあるのだけど、この度はオランジュリーにきてました。
もう、すぐ近くなのでね、移動も比較的楽だったことでしょう。
この「イカサマ師」へのオマージュ作品がいくつか飾られていたりして、
1934年当時の芸術シーンを見ることのできるなかなかいい展覧会でした。


他にも色々あったのだけど、ちょっと絵に疲れたのでひとやすみ。
画集を買い忘れたので、何があったのか覚えているけれど、画家の名前をことごとく忘れてしまったので
勘弁してください。今ならオランジュリーのサイトを見てくださいな。

思ったのは、
1934年の展覧会にはなんというか、このイカサマ師のようなタッチの絵が多くて、
静物画にしても、薄いガラスの質感をものの見事に描いたものとか、
ほんと、絵のうまい人たちばっかりで、
いわゆるエコール・ド・パリの連中はいわゆるアングラだったんじゃないかと。
印象派表現主義とか野生派とか、まあ、色々あるけど、
なんといっても当時の絵の主流は昔からある写実主義、あるいはロマン主義のものだったんじゃないかなと思いました。
何の資料もないし、絵の歴史なんてそんな覚えていないのだけど、
ゴッホの悲劇やルソーの趣味に過ぎない絵とか、そういうのを見ていると、
絵を買われて初めて「巨匠」になるという感じがしました。


ギヨームさんは画商だったみたいだけど、
彼の手元にたくさん残っていると言うことは、つまり、在庫が残っていたということになりませんかね。
と、つまり、僕らが見ているのは在庫処理のバーゲンってことで、
画家たちが生きていた時代には3割5割引は当たり前とか、そういうのだったんじゃないかな。
いや、まったくの根拠のない話ですけれどね。
ここらへんを調べてみると、エコール・ド・パリのとんでもない輩が巨匠になっていくドラマを一本書けるんじゃないかと思いました。


イタリアのルネサンスは職人たちが絵を描いていたんだけど、
パリのエコール・ド・パリの時代は絵を描きたい人たちが絵を描いていた。
ここらへんの変化が大事なんじゃないかな。


ゴッホが自分の絵を燃やして暖をとったとか聞くと、今では札束を燃やしてるような感じがするけれど、
絵が売れなかった頃からしてみれば、
みやげもの屋の絵葉書をメモ帖にしちゃうような感覚だったんじゃないかな。
あまりガイドマップを大切に保存する人っていないけれど、
あと50年したらそのガイドマップが当時の風景を残す唯一の手がかりになるかもしれない。
将来自分が死んだあとに有名になったときに、自分がパリを訪れた証拠として使われるかもしれない。
その地図に印とか書き込んであったらもう、それだけで値段が一桁変わるかもしれない。


オランジュリー美術館一つで結構考えてしまいました。