海外で働くということ

日本という島国では、
平成17年国勢調査による総人口(確定数)は127,767,994人
がくらしていて、そのほとんどが日本語を話しています。

人口でいうと、世界で10番目に多くて、
人口密度は世界で4番目。
とにかく日本列島の隅々にまで人がいて、暮らしています。
しかも目立った内乱もなければ、
他の国とは戦争をしない、ということをとにかくも60年続けた、大変に平和な国です。


僕は新庄がアメリカに行った時のことを思い出すのだけれど、
彼はお金がほしくて行ったのではなかった。
阪神にいればもっとお金なら出してくれたはずだった。
けれど彼がアメリカに行ったのは、それがアメリカだったからだった。

アメリカにいて、大リーグで野球をする、ただそれだけのために、
彼はニューヨークのメッツに行った。

野茂が大リーグに行ったのも、きっと同じようなことだったと思う。

新庄も野茂もお金がほしければ日本にいたほうが、きっと良かったと思う。
でもそうじゃないものが、アメリカにはあった。



日本でのしがらみや、なんだかよくわからない談合めいた社会の仕組みや、
妙にしらじらしい馴れ合いだとか、うわさで一気におとしめられる社会、というのが嫌で
海外で働きたいと思う気持ちは良くわかるけれど、
実際のところ、
そういう社会の仕組みは、海外も日本も大して変わらない。

海外は実力勝負だとよく言うけれど、
じゃあ、お前にそれだけの実力があるのかと、まずは問わなければいけないし、
本当の意味で実力勝負でやっているのは、
海外と言っても、よっぽどの発展途上国か、戦争地域ぐらいで、
もうすでに産業や資本主義社会が確立しているところでの実力勝負というのは
まったくの夢(アメリカン・ドリーム)でしかなくて、
異国人が入る隙間なんて、たいしたことない、と言っていいほど、
すでに海外の国々には「もう、まにあってますから」という札がぶら下がっている。

それでもヨーロッパ諸国を目指す移民が後を絶たないのは、
その移民していく国民の所属している国がよっぽど悪いことになっているからであって、
野茂や新庄のように夢を追いかけて移民をする人は、少数に近いと思う。
移民をするのはその目的の地へ行ったほうが儲かるからであって、
観光するために移民するわけではない。


日本という国は、それこそ漢の倭の那の国王の時代から、
なにやら外にある共同体からに認められることを、ことさら大事にしてきたように思える。
海の外にはどうやらいいものがあるらしいという、ニライカナイの信仰にも似たものが
ずっと昔から、日本人をして「変化は海の向こうからやってくる」と言わしめた。


明治のころの日系移民は、つまりは日本が混乱の中にあって、
大変に貧しかったころの話だ。
ブラジルに行けば儲かる、ハワイに行けば儲かる、カルフォルニアは儲かる、
というんで彼らは貧しさからの脱却を目指して、海外の土地を踏んだのだと思う。


ところが、その移民のことすら忘れかけた戦後の日本人の海外進出は、とどのつまりは「留学/駐在」でしかなかった。

バブル経済のころ、何もわからないままに海外のものが手に入るうれしさに、
ゴッホのひまわりを買ったりしたころがあったけれど、
あれだって結局、海外に進出して何か一発当ててやろうとしなかったのは、
(結局バブル崩壊で何もなくなるのかもしれないけれど)
海外に出ることはすなわち「留学」、つまり、いつかは日本に帰ってくる、という前提があったからだ。

もしあのとき、海外に行った人たちに「ここでずっと暮らす」という気概があったら、
バブル経済はもうちょっと中身のあるものになったと思う。
きっとロサンゼルスのリトルトーキョーは、その20年後韓国あるいは中国系の人たちに部分的に支配されるなんていうことはなかっただろうし、
「海外の日本食料理屋さんのほとんどは中国人経営」ということは多少は防げたと思う。

でも実際、当時の日本人には、そしてきっと今も、
海外の国で一生をささげる、という人は本当に少ないのだと思う。

なぜか。
それは日本で暮らせて、十分に幸せだからだ。
バブルが崩壊したからって、円の価値が急に下がって、ほかの発展途上国のレベルにまで下がったわけじゃない。
結局、円はちゃんと世界の中でも大事な通貨として動いているし、
企業のほとんどが国営化、みたいなことにはならなかった。
どっこい日本はぜんぜんだめな国じゃなかった。


そういうのは、つまり、日本を見習えっていう気風が起きてもおかしくないわけだけど、
なんでか今もやっぱり「不思議の国ニッポン」であり続けているのは、
日本が、あるいは日本の企業が、「植民地」たる海外の土地で威張ることがなかったからだと思う。


戦後の日本は、威張ることをやめて、「ええ、どうも、すいません」と言いつづけたんじゃないか。
僕はそれをとてもいいことだと思う。


「へえ、手前どもで間に合ってますので、ええ、まあ、どうか、お好きであればどうぞ」の精神で
日本は売りつけることをせずに、おすそ分けをして、結局そのおすそ分けのほうがよかったから、
「ぜひうちにも来てください」と海外の国に誘われて、
あるいは「もっとください」と海外に住む個人から言われて、
「え、ええ、じゃあ、あがらせてもらいます、どうも」ってんで、
車とテレビゲームと中小企業のシェアを広げていったんじゃないか。


まったくもって、実力勝負の世界を、
おすそ分けの手法で日本は乗り越えてきた。
しかもそれに気付いていた日本人は、
大企業や中小企業の戦略研究家もくふめて、あまりいなかったのではないかとおもう。


海外で喜ばれるのは、
本当にいいモノと、本物と、変なものと、損にならないものであって、
ひとやま当ててやろうと息巻いて海外進出した人たちの大半は失敗してる
ということを忘れてはいけない。

黒澤や小津の映画がもてはやされるのも、
ドラゴンボールセーラームーンが大人気なのも、
僕らがつい、「え、そうなの?」と思ってしまうものが海外で愛されているのは、
そのいいものに、「海外で売れてやるぜ」という息巻いたものが見えないからだ、
ということを、如実にあらわしていると思う。

もっといえば、
日本でいいものとされているものを、
世界標準でいいものとされているものにするのが、
いわゆる「植民地化を進めようとするひとたち」の本筋であるのに、
どうも彼らの雰囲気を見ていると、
世界標準でいいものを、日本でもいいものにしてしまおうとしている点が気に食わない。
そんな世界標準だのなんだの言ってる時間があれば、
サランラップクレラップをはやく世界標準にしてくれと、本当に思う。
ダイソンの掃除機がすごいのはわかったけれど、あのすごくうるさいのも世界標準にはしてほしくないし、だったら日本産の音の静かな掃除機を世界水準にすればいいじゃないかと思う。


ちょっと、話がずれ始めているけど。

そう、海外で働く、ということ。


つまり、「どうやったっていつか日本に帰るでしょう」の気持ちを持った日本人が
だんだんと、これは政府の働きかけもあると思うのだけど、
「海外でずっと住む」の方向に行きかけている気がする。

これはなんだか、内田樹が言ってるように、
日本にせっかくある約1億3千万人の市場を無視してることになるんじゃないかと、
僕は思う。


日本を出て、海外で学んで、海外にずっといて日本を忘れる人と、
日本を出て、海外で学んで、日本に帰ってきて学んだことを広める人と、
日本を出て、海外で学んで、両方の国で活躍する人と、


小沢征爾野茂英雄吉田都宮崎駿北野武
ラルク・アン・シエルやディル・アン・グレイを見ている人たちからすれば
さあ、今の時代、どれが一番魅力的だろうか。


僕は両方で活躍する人だと思うのだけど、どうでしょう。


そのためには、
まず海外と日本をつなぐしっかりとしたパスポートとVISAが必要だし、
日本はふるさととして魅力的であってほしいし、
海外の土地もまた、第二のふるさととして居心地が良くあってほしい。
その準備が日本ではできてるだろうか?

海外で働く日本人を賞賛するのはもう時代遅れだ。ってことを、知らないといけないと思う。

さらに
両方で活躍しないと、どうにも黙っていられない使命感のようなものを
持っていないとやってられない。

それだけ重いものを、両方で活躍しようとする人は背負わないといけないと思うし。
なので、
せめて飛行機を降りた場所でゆっくりできるような環境を作ってもらいたい、と思うのは自然なことだと思う。
両方で活躍する人、というのは、移民でも、留学生でもない、新種のコスモポリタンだ。
コスモポリタンであると同時に、どこへ行っても異邦人というレッテルが貼られる。
その異邦人を受け入れる地盤が、
今の日本にはきっとある…あるようになる…あるようになるといいなあ。とおもう。


と、ちょっと待てよ、と立ち止まらないといけない。

そんなコスモポリタンを、いったいどこの国が受け入れてくれるだろう。
そんなさまよえる日本語をしゃべる人々を、実際に日本国は作ろうとしているのだろうか。
国家は、どこにも所属していない人を守れるだろうか?
コスモポリタンを保護するような国家間協定が果たしてあるのだろうか?


せめて、日本列島の上にはちゃんと日本語を話す人が隅々までいる、
という現状は変えないでほしいと思う。人種はどうあれ。


クラーク先生の言った、「少年よ、大志を抱け」は、
はたして、ぐうたらな少年たちに喝を入れるために言った言葉だったか?
目的のない少年たちにあきれて、「お前らもっと野望を抱けよ」というぼやきだったか?
開拓されて間もない北海道の寒空に、大学の有給をとってやってきたアメリカ人は、
そこでどんな少年たちを見たのだろうか?