偉い人に会いに行く、ということ。『コクリコ坂から』を見て思ったこと。


コクリコ坂からの話をしますよ。
たっぷりしますけど、本篇の主軸のストーリーとはあまり関係ないですよ。




コクリコ坂から」を見てきて、
二回ほど泣いてしまった。


ひとつは、理事長さんに会いに行って、
「君のお父さんは何をしているのかな?」と聞かれるところ。


もうひとつは、その理事長さんと一緒にカルチェラタンの生徒たちが一斉に歌を歌うところ。
「紺色のうねりが」という歌を歌うのだけど、
これはどうやら宮沢賢治の詩に触発されて、宮崎親子が作った歌なんだそうです。




どちらのシーンにも共通しているのは、主人公たちが通う高校の理事長さんの存在です。
実はこの理事長さん、徳間書店の社長さんがモデルなんだそうです。


偉い人に会いに行くというのは、とても勇気のいることです。
高校生の生意気な気持ちがあって、ようやく会いに行けるっていう、そういうものです。
これが大学生でもだめ。
小学生や中学生だと少しなめられてしまう。
高校生だから、実現する対面というものがあるはずなんです。


何やら偉い人のようだが、こっちには会う筋合いがある、というだけで主人公たちは横浜から東京まで電車で30円払っていく。
アポなしで、徳丸書店の社屋に、ガッチガチに緊張しながらも、「どうしても会わないといかんのであります」という気概だけで受付に名前を言って
「アポとってからにしてね、忙しいんだから」というオトナのたしなめもなんのその
「来るまで待ちます、ずっとここで」という粘り腰で、いろんな人が会いに行ってスゴスゴと帰る姿を横目に、
差し出されたお茶にも手を出さず、ただひたすらに待つ少年たちに、
ようやく社長自らが「やあ、待たせたね、お入り」とドアを半分開けて、招き入れる。


こんなことは、高校生じゃないと無理なんです。
アポを取るなんて言うオトナの作法では攻められない城を一気に落とすのは、
高校生の若さと熱意と我慢と背伸びです。


高校生のころになって、偉い人と自分の距離が一気に測れる時があります。
それまで、本当に雲の上の存在なんじゃないかと思ってて、
いるのかどうかすらあやしいと思っていたような人物が、本当にいて、
しかも、その人と会うことができるかもしれないというわくわくドキドキは、
どんな青春の1ページの中でもとびっきりの思い出になるはずなのです。
そしてその思い出が、
「偉い人」と自分は同じ世界に生きていて、どうにかすれば会えるかもしれない
という自信につながっていき、
やがてその思い出にすがっていくうちに、将来なりたかったものにだんだんと近づいていくのです。


その人が一体どういう風に偉いのかわからないのだけど、
とにかく偉いらしくて、実際に会ってみて、確かに偉い人なんだと思わせてくれる偉い人は、
本当に偉い人なのです。
そういう偉い人と出会う、というより、
「偉い人に会いに行ったんだぜ、会えたんだぜ、僕たちに会ってくれたんだぜ」という実感は
たぶん、人を大きくさせます。
成長とも違う、一皮むけるわけでもない、けれど、
何か理想の人間像の形成に大きく関わる事件になるんだと思います。


そういう偉い人に、
「君のお父さんは何をしているんだね?」と言われるのは、
どうやっても「君はなんだか特別な顔をしているよ」と暗に言われているようなものです。
そしてなにより、偉い人が私のことを知るために私の父親のことを訊いてきた、という点で、
自分は父親から少しだけ離れることができたんじゃないか、という気分にさせるのです。


こういうことを訊いてくるオトナは、とんでもない人ったらしです。
でもどうも偉い人っていうのは、人ったらしなのがいいように思います。
「ああ、そうか。なるほど君の持っている何かが、少しそれでわかるような気がするよ」とか言われた日には、嬉しくってたまらないです。


実の両親からあんたは偉いとか、すごいとか、言われたところで、どうもしっくりきません。
主人公の二人を取り巻くオトナの男性は、この徳丸社長と、最後に出てくる父親の親友です。
どのオトナも「君の父親はきっといい奴だった」と語ってくれます。
そういう言葉のほうが、嬉しくて自信につながったりするのです。



徳丸社長は、「そんなに熱心に来てくれるということは、きっと何かいいものがあったのだろう」と、
すべてのスケジュールを変更して、横浜まで来てくれるわけです。


風間君たち三人と話した時には、
もうとっくに徳丸さんの気持ちは、カルチェラタン存続で決まっていたはずです。
けれど、そのカルチェラタンを見に行くということで、オトナの筋道をしっかりと見せつけるわけです。
「さあ、どうする?偉い人がカルチェラタンにやってくるぞ」というわけです。


そうして生徒たちは徳丸さんをカルチェラタンで歓迎し、『紺色のうねりが』を大合唱します。
生徒たちは必死で歌い、徳丸さんはその熱意をきちんと受け止めます。



こういうときに、僕は泣いてしまうわけです。



昔、「オーケストラの少女」っていう映画があって、
偉い指揮者にオンボロオーケストラを指揮してもらおうと、
小さい女の子が生意気に殴りこむっていうものでした。
やっぱり僕はそれでも泣いてしまうのは、偉い指揮者がくると決まった時のシーンでした。


凄く必死なんです。
会わなきゃ死んじゃうぞってくらい、必死なんです。
その姿に胸を打つものがあるのです。



どうしても会いたいと思う人に、必死になって会って、しゃべって、
ああ、この人と出会えてホントによかったと思える人に出会えたら、
きっとその人は幸せだと思います。

そうしてずっとその気持ちを忘れずに、時々焦ったり、嬉しくなったり、そわそわしたりするのです。


コクリコ坂から』という話を、ぼくは偉い人に会いに行く話だと理解して、すごく楽しみました。