吉田都はやっぱりすごかった。

「Rhapsody/La Sylphide」(ラプソディー/ラ・シルフィード)
of The Royal Ballet
@ Royal Opera House, Main Theatre

9th Feb.2007
£15

キンダイシュラン《★★★★☆》


今回、三部構成で
一部がラフマニノフのラプソディー
二部からシルフィード一幕
三部がシルフィード二幕。

一幕が終わったあと、
まるでその日の最後のように
カーテンコールが起きたのには驚きました。
バレエの世界では普通なんでしょうか。
なんせ、通し物しか見たことがなかったので。
(歌舞伎みたいな表現してごめんなさいね)


第一部「Rhapsody」

さて
ラプソディーについてあんまり僕は知りません。
どこかで聞いたことある曲だなーと思っていたら
もしかしたらフィギュアスケートで誰かが滑っていた曲だったからかな。
とにかくもなんとも聞き心地抜群の曲で、
背景のモネの睡蓮みたいな絵が青くなったり夕焼け色になったり
その前で踊る二人のカップル。


前準備をまったくしてなかったので
そして吉田都シルフィードだと思っていたので
まったく気を抜いて見てました。
そしたら群舞の後にポワントで
パラパラパラって横滑りするようにやってきた小さい女の子に
釘付けになってました。


いつも思うんだけど、男性が束になって
一人の女の子をもてあそぶように踊る振り付けは
本当にいやらしいと思います。
あれを見たスケベ兄ちゃんはさぞ
「ああ、バレエやってれば良かった」
と思うことでしょう。
裏の世界なんか分かったもんじゃないけど。
ビールのCMでこんなんあります。(↓男の妄想バレエ)


さてさて
それにしても、
その舞台に踊る小さい女の子はいったいダレだろうかと
まさかまさかと思ってもプログラムを見るよりも
その女の子を見ていたくて
気づけばカーテンコールでした。

まったく足音のしない女の子は吉田都でした。

途中、男性に支えられてのスピンのあと
キュッと方向転換をするあの切れのよさや
次々とリフトされていって時には投げ飛ばされても
決してバランスを崩さないあたり、
まさかとは思っていたのだけど、
そのまさかでした。


くるみ割りのときはそうでもなかった音楽との調和や
決め所を決して外さないリズム感とからだの使い方、
どこか楽しそうに見える、見えない表情など
どこか吉田都をほうふつとさせると思っていたら
ご本人様でした。


僕の座っていた席はちょうど ど真ん中。
amphitheatreと呼ばれる天井に一番近いところです。
劇場全体を左右対称に見ることができるんだけど
ここからは踊っている人らの顔ははっきり見えません。
つまり笑っているかどうかなんて分からないんですが、
明らかに彼女は笑っていました。
(まるで何か格闘モノマンガのような表現ですが)
からだ全体であんなにまでやってくれるとは、
くるみ割り人形の時と比べても全然違いました。


第二部「La Sylphide」


後半の「ラ・シルフィード」も良かったんです。
メインはこっちのはずだったので。
シルフィードを踊るのはTamara Rojo(これはロホと読むんでしょうかね)
アホ男・ジェームスを踊るのはFrederico Bonelli。
もちろんですが、両者ともにプリンシパルです。


話は、
夢見心地のジェームスが、
婚約者がいるにもかかわらず、
妖精シルフィードに恋をして
婚約を破棄して妖精を追いかけた先の森で、
シルフィードと遊びます。
一方魔女は二人が気に食わないので魔法の羽衣を作って
ジェームスを丸め込んで羽衣をシルフィードに掛けさせます。
ジェームスそうとは知らずシルフィードと遊んで
調子こいて羽衣をシルフィードに掛けてしまいます。


シルフィード、羽を失い絶命。
ジェームスの婚約者、他のいい人見つけて結婚。
ジェームス、シルフィードの絶命+元婚約者の結婚式をみて絶望。
魔女高笑い。
ジェームス、絶命。



なんだか、すごく悲劇的ですが、
引いてみてればまったくのバカな男の喜劇です。
でも、
なんだか今回、なぜか婚約者の女の子に同情してしまいました。
変な妖精に婚約者を取られてがっかりする一幕最後のあたりは
もう、かわいそうで仕方なかったです。
二幕に入って状況は変わりましたが。


シルフィードと羽衣で遊ぶジェームスはアホでしかないのですが、
遊びの勢いで羽衣を掛けて
「わーいわーい、高い高い!」のリフトで硬直するシルフィード
ちょっと鳥肌立ちました。
ポロ、ポロと落ちるシルフィードの羽は
どういう仕掛けでやってるんでしょうか。


何度かこの演目は見ているんですが、
今回もやっぱり最後は男のアホさ加減に
「ばかやろう!」の一言です。


人間の世界と、妖精の世界は交わることができないとか
そういう当たり前のこともありますが
そこを越えようとする情熱がいまいちこの作品には見えません。
それよりも、ジェームスの愚かさをクローズアップすることで、
より現実的な悲恋としてみることができます。
ファンタジーのリアルっていうのはたぶんこのことで。


現実世界での出来事を
そのままに舞台に上げてしまっては、どうも嘘っぽく見えてしまう。
けれど、明らかに嘘の世界を
嘘のまま舞台に上げると、まるで現実の世界の鏡のように感じる。
「現実において真実は嘘っぽく、舞台において嘘は真実らしい。」
なんてなことが言えるんじゃないでしょうか。

教訓。

小悪魔になろうとするな。
天然小悪魔は自滅しないように。
男は仕方ないけど、ちゃんとした子を見極める。
恋をしたなら責任も忘れずに。
シルフィードもジェームスも
自分の愚かさによって昇天します。
死ぬ覚悟で恋をしろというわけではないけれど、
それなりに責任を持って恋をしていたということです。

最後に疑問。

足音のするジャンプとしないのと、
あの違いはどこから来るんでしょうか。
ホントに筋肉の付き方なのかな。
タマラさんは若干足音がしました。
吉田都、ホントに足音がしないのね。
靴の違いもあるのかな…。