Call my nameの気持ち


マイケルジャクソンのI'll Be Thereのついでに挙げた
キャロル・キング(Carole King)の歌が
ひたすら良かったので
今度はちょっと、違うバージョンの映像をはっつけます。

歌っているのは
キャロル・キングとセリーヌ・ディオングロリア・エステファン、シャナイア・トウェイン
です。

セリーヌ・ディオンの持ってきぶりにはちょっとびっくりしますが
それでもやっぱりこの歌はいい。

で、考えたんです。何でこの歌がいいのか。

まずは、歌詞を全部乗っけますね。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
When you're down and troubled
And you need some loving care
And nothing, nothing is going right
Close your eyes and think of me
And soon I will be there
To brighten up even your darkest night


You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend


If the sky above you
Grows dark and full of clouds
And that old north wind begins to blow
Keep your head together
And call my name out loud
Soon you'll hear me knocking at your door


You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there


Ain't it good to know that you've got a friend
When people can be so cold
They'll hurt you, and desert you
And take your soul if you let them
Oh, but don't you let them


You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以下金田一訳です


君がへこんでて、ごたごたしてて
あとなにか愛されたくって
しかも何にも、何にもうまく行かなくなたとき
目を閉じてあたしのことを思って。
そしたらそこに行くよ
真っ暗だった夜を明るくしてあげる。


君はただあたしの名前を呼べばいいの
あたしがどこに居たってだいじょうぶ
あたし走って、また会いに行くよ
冬が来て春が来て夏から秋へ
呼んでくれさえすればいいよ。
あたしはそこにいるから。
友だちってそういうこと。


真上にある空が
どんどん暗くなって雲で包まれて
北風が吹き始めたりしたら
よく落ち着いて
大きな声であたしの名前を呼んでごらん
すぐに部屋のドアをノックするあたしに気づくから


君はただあたしの名前を呼べばいいの
あたしがどこに居たってだいじょうぶ
あたし走って、また会いに行くよ
冬が来て春が来て夏から秋へ
呼んでくれさえすればいいよ。
あたしはそこにいるから。
あなた、友だちがいるんだよ。


友達がいるっていいことだと思わない?
みんながすっごく冷たかったりして
そいつらは傷つけたり 見捨てたり
うっかりしてたら、魂抜き取るかもしれない
ねえ、でもそうはさせないで


ただ名前を呼んでちょうだい
あたしはどこに居たってすぐに分かるよ
急いで駆けつけて、また会いに行くよ
冬が来て春が来て夏から秋へ
いつでも呼んでくれさえすればいいよ。
あたしはそこにいるから。
あたしたち、ともだちなんだから

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


そういうわけで、
落ち込んだらあたしに相談しなさい、友達なんだから
っていう歌です。
メッセージはそれだけ。
けれどこんなにも胸を打つのはやっぱり彼女のメロディーのなす業なのか
それともその詞なのかと。

音楽はあまりよく分からないので、
詞がいいのだというところで見当をつけていきましょう。



やっぱりサビでしょう。


You just call out my name
And you know wherever I am
I'll come running to see you again
Winter, spring, summer or fall
All you have to do is call
And I'll be there
You've got a friend


で、気持ちいいのが
三行目、I'll running to see you again
走って駆けつけて、はあはあ言いながら
「だいじょぶ?」
みたいなこといってドア開けてる感じします。
冬から季節を数えるあたり、
FallとCallの韻を踏んで
「be」で高いとこもってきて、
落とすときに、ため息ともほっとした息と共に
「ね、ともだちよ」
とさらっというあたりがにくいです。

ほら、ここにいるよ
と差し出す手のひらや
にんまり笑ってる顔のかんじ
そこで「Be」のあたりで突き抜ける
「ほらここにいるじゃん!」の強さはちょっと泣けます。
なので、セリーヌ・ディオンも歌い上げちゃいます。


で、もうちょっと深くいきましょう。

なぜ泣けるか?

この「あたし」はどんな人か?


落ち込んだ人っていうのは、
誰にも言わずに引きこもったり
誰かにすぐに助けを求めたり
自虐行為に走ったりするのだけど、
この歌で歌われている「君」という子は
どうもひとりで溜め込んで、
むちゃくちゃになったところを
この歌の「あたし」が見つけて、
「また今度なんかあったら、呼んでね」
っていう設定だと思うんだけど
この言葉、実はちょっときつい言葉かもしれません。
つまり、
「今度呼んだときは、トラブルに決まっている」
「呼び出したときはいつもトラブルになる」
「今回みたいなごたごたはこれで最後にしよう」
という感情が入っているかもしれません。
よっぽどとんでもないことをしでかしたんでしょう。
けれど
「もう、呼んでよ〜、あたしだって寂しいんだから」
という風にもとれます。

この歌の風景

誰かからか「あのこがヤバイ」という話を聞いて、
たまらず「あたし」は「君」を探して、
どこかよく分からないところでぼろぼろになってる「君」を見つけて
最初は何も話してくれなかった「君」が
ポツリポツリと話し始めて、
お茶(あたしが入れた)かなにか飲みながら、
時々ぐずぐずになって、それでも何とか話して、
そうしてちょっと気が落ち着いたあたりに
カーテンを越して外が夜明けの藍色になって
「じゃあ、ちょっと、疲れちゃったし、寝よっか」みたいになって。
昼くらいに遅く起きたときに、君は隣にいたはずの「あたし」を探して、
おはようとか言いながら少し早めに起きた「あたし」が
焼きたてのトーストにおいしいジャムをつけて差し出して、
君「おいしい」って一言ぽつりと言って
あたし「まあ、特製だから」とか言って、
二人で外に出る用意して
そのまま自転車を二人乗りして、橋を越えてみたりして
ついでに気持ちの山も越えてみたりした気分になったときに
あたし「またなんかあったら、呼んでよ」


どうでしょうこれ、言われた側つらくないですか。
だってまたなにかあること前提ですよ。
助ける側にいること前提になっちゃってるじゃないですか。
ホントにこれは友だちか?と。

実は、あたしは立派な寂しがりやの友達です。

基本的に、この「あたし」という子はお節介焼きです。
そういう子は、名前を呼ばなくても駆けつけるはずです。
でも、呼ばれなくても駆けつける、ということは
呼ばれざる友だちだったのかもしれない、ってことも言えるはずです。
呼ばれなかったけど駆けつけるお節介は、
結果的に気持ちを和らげてはくれたかもしれないけれど
まずは呼ばれなかったっていう事実はぬぐってもぬぐいきれません。


もし、このトラブってた子がすぐに誰かに助けを求める子なら、
「名前呼んでよ」といってるこの方が、むしろあわれです。
頼りにされてないっていうことですから。
頼りにならないと思われているわけです。


トラブったことのある人ならわかると思うけれど、
誰に助けを求めるか分からなくなったとき、
たとえばケータイの電話帳をとりあえず眺めて、
くるくる見ていって、「あーだめだ、だれもいない」って思ったはずです。
よほどの友だちでないと、電話帳を止めることはできません。
この歌の主人公は、どうもこの「電話帳を止める友人」になりたいようです。


ちょっと、この「あたし」がかわいそうです。
というか、「困ったときには名前を呼ぶ主義」な性格のようです。
むしろ、「あたしが呼びたい」と思っているかもしれません。

まとめ:この歌の主人公の境遇は2通り。

もし「君」と歌われている子が自分で解決する主義だったなら、
「あたし」はお節介ながらも助けになる人でしょう。
もし「君」が他に助けを求める主義だったら
「あたし」は助かるけれど招かれざる人間です。


どっちが泣けますかね?
どっちの設定が、この歌を歌うときに感情出せますかね?



歌い手が実際に呼ばれざる感じの人で
たぶん「君」にはもっといい友達がいるんだけど、とか考えると切ないです。
「あたし」の、わがままな人だけれど憎めない感じが出るじゃないですか。
「もう、呼んでよー」とぶーくさ言ってる、わがままちゃんです。
ちょっとエゴスティックですが、こう思った人は多いはずですから、
涙を誘うことはいともたやすいでしょう。


歌う歌手がいつか助けられたことのある人間で
そのあと助けてくれた人にうんざりされて、結局ひとりになった
とかいう境遇にいたりしたら、
この歌は「あなたにこういって欲しかった!」っていう、
これまた涙なしには聞けない歌になるでしょう。


あと、これは全然触れなかったけど
歌い手が友だちに死なれたときに歌うと泣けます。
一回助けはしたけれど、
もう一回トラブルに見舞われたともだちが
何かの拍子でこの世からいなくなったりしたとき
助けてあげられなかった、とかいうストーリーがあれば
もう、すごく泣けます。



ホントは「呼んでね」なんていわなくても呼ばれるような、
「そうだ、あいつ呼ぼうぜ」と言われるようなね。
そういうのが素敵だと思いますが、
なかなかそういう人にはなれないものです。

じゃあ、ひとりで歌ってるキャロルをどうぞ。