パリ二回目。

二泊三日で行ってきました。

初日はオペラ座ガルニエ宮で「Concert Shakespeare

というのをやってて、若い連中が歌ったり演奏してたりしてました。
ホルンていう楽器はなかなかに一定の音を出すには難しいようで、
ちょっと残念でしたが、それでもあのガルニエに入れただけでもうれしかったです。
シャガールの天井画もあったりして。

二日目はステンドグラスめぐりでした。

まずはシテ島の裁判所の中にあるサントシャペル。
中にはいるにはまず空港並みの荷物検査をしないといけません。
なんせ裁判所の中にあるんですから。外からは尖塔しか見えません。
裁判所の壁に「←Sainte Chapelle」という安い張り紙がしてあるだけです。これを見つけるのは場所を知った人でないと無理かもしれません。
ちゃんとガイドには書いてあるけど。穴場的な教会です。
一階はマリアさんを拝むところ、
手前の螺旋階段をぐるっといくと目の前にパリの宝石箱が広がります。
ゴシック様式の柱から天井に向かうあたりが、なんだか新しい生物の這いつくばるような感じでした。
柱以外の空間はすべてステンドグラスです。
写真がないのが残念ですが、大変に細かい仕事をしてます。
あの深い青や赤はどうやって出してるんだろう。。
あと、肌の影はガラスをそこだけ厚くすればいいんだろうけれど、
そんな簡単にはできないだろうし。
あの聖堂を6年で作り上げたというのが驚きです。
しかもその聖堂は、
聖堂そのものの建築費の4倍はする「キリストの荊冠」のために作られたっていうんだから、まあ、とんでもないことです。
この「キリストの荊冠」はビザンチン帝国から買ったというんですが、当時のビザンチン帝国はお金に困ってたんでしょうか
ちょっと歴史には不勉強なのでわかりません。
フランスがこれを買って、教会をそのためにつくって、革命でぼろぼろにされて。
フランス革命っていうのは本当に市民の革命だったんだなと思いました。当たり前のことですが。
朝に行ったので、人も少なく、天気も良かったので日の光がまっすぐにステンドグラスを抜けて入ってくるのがわかります。




次に訪れたのは、パリの郊外シャルトルにあるノートルダム大聖堂
ロマネスク様式とゴシック様式が半分半分になっている妙な教会です。
中に入ると椅子がガー並んでます。生きている教会という感じがしてうれしかったです。
床には有名なシャルトルの迷宮図。
椅子が並んでいたのでその上で迷宮をたどることはできなかったけれど、見れて良かったです。
この教会は祭壇を壁が囲むようになってて、その壁には細かい聖人たちの彫刻やレリーフが施されています。
その祭壇の外側にもさらに細かいレリーフ
聖書の世界を彫刻で現しているのは、まあ、偉いことだなと思いました。
その外側のレリーフとステンドグラスの間の回廊をぐるりと回ると途中にマリアの着ていた絹布というのが見つかります。
これもビザンチン帝国から譲り受けたものらしいです。
さらに行くとステンドグラスの濃い青の中に一段薄い水色のマリア像が見つかります。
まるで観音様のようですが、確かに聖母マリアで、特に「青い聖処女」と名づけられているようです。
サントシャペルと同様、内部はゴシック様式
周りを埋め尽くすステンドグラスは日の光を受けて、
明るさのグラデーションを楽しむことができます。
聖堂入って左側の尖塔は登ることができるらしく、登ってみました。
延々と続く螺旋階段は狂いそうになりました。
時々日が差し込む縦に細長い窓から見える景色が唯一の励みです。
だんだんと高くなっていく景色がないと自分がいったいどこを歩いているのかわからなくなります。
やっと出たバルコニーは歩ける幅1メートルもないようなところです。
何人もの観光客が踏みしめただろう床はつるつると滑るし、バルコニーの手すりも へその辺りまでしかありません。
下を見ると何も途中にないまま地面です。
これは怖かった。
それでも何とか全部この町を見てやろうと思い、幅の狭まっていく恐怖と戦いながら、尖塔のバルコニー一周に成功。
気づいたら地平線のほかは何も見てませんでした。

フランスは大陸だ

と思ったのはこのときでした。
尖塔から見る景色の向こうには山があったりするものだと思っていたら大間違い。
稜線なんてものもない、ただのだだっ広い平原が広がっています。
イギリスでも見たことのない景色でした。
ビルに囲まれている東京か、山に囲まれている京都にしかいなかったので、この地平線というものは衝撃でした。

フランスの雲

大陸の景色でもう一つ気になったこと。
シャルトルの帰り、外を見ていたら雲の真上に雲があるのを見ました。
ついつい二度見。
雲の上に雲があるのは当たり前かもしれないけれど、実際にそれを見ると妙な感じがしました。
雲っていうのは水の塊でいわば綿みたいなもんなんだけど、
日本で見る綿雲とはあまりにも違いがありすぎて驚きました。
京都の雲の美しさによく驚いたものでしたが、フランスで見る雲は全然違います。


京都の雲は基本的に空にへばりついている印象があります。
空のキャンバスに絵筆で描いたような雲。
東の大文字から沸きあがる入道雲もどこか絵のような感じがしますし、
まして入道雲の真上にある雲は見えません。
空はいつまでもドームの形をしていて、雲はそのドームに映写機で映し出されたような感じがします。
北大路のビブレから烏丸通を見下ろすとまっすぐ先に京都タワーが見えてなかなかのパノラマなんですが、雲は景色の上のほうに追いやられているような感じがします。
どれだけ雲が垂れ込めていようと京都タワーよりは上のほうにあるし、なにしろ空全体が灰色になるものでした。


そこでフランスの雲はその一つ一つが大きな立体として空に浮かんでいます。
これが本当によくわかるくらいの立体。
白い大きな塊が空に突如として浮かんでいます。
遠くの雲を見るとその雲の上にまた新たな塊がのしかかるようにして雲が出来ています。
大陸の景色と言うものはこういうものなんでしょうか。
雲がいつもより低く感じられて、空が高く感じられます。


参考になるか分からないけれどロンドンの平面的な雲です。

で、もう一つはロンドンの立体的な雲の写真。雲の上に空が見えそうだっていう景色です。



写真ではよくわからないかもしれませんが、このロンドンの雲でも、雲の上の雲はなかなか見れるものではないと思います。
けれど、シャルトルの帰りに見たあの雲はたしかに雲の上の雲でした。


で、
さらに進めると、
この立体的な雲がもしかしたら西洋画と日本画の決定的な違いなんじゃないかと思ったわけです。
どこまでいっても立体として迫ってくる雲と、
空に張り付いている雲を比べても、
西洋の人間が自分たちの見ている雲を描こうとしたら、あの立体感を出したくなる気持ちがよくよく分かるように思います。


まあ、そんなかんじのフランスです。