大学全入時代について。


ふと思いついたので書きます。

大学が欲しい人数と、大学に入りたい人数が同じになって、
全員が入れる、という時代が来るらしいですね。
たぶん、それに向けてどこの大学でも
いろいろと対策を練っているんだと思います。


イギリスの大学って、願書出せば受かると思われてる節があります。
もう、「おいでー、留学生だから儲かるわ!」っていうあれで、
お金持ちの留学生からバンバンお金とろうと必死になってるんじゃないかと思われたりしてます。
でも、やっぱりちゃんと見てます。
落とすやつはきっちり落とすんだと。


で、一向に大学全入時代に話題が移らないのですが、
大学での成績って、どれくらい重要だったでしょう?
日本の大学で、オールAをもらうような人っているんでしょうか?
サークルやらずに学部の勉強しつづけて、
それで就職する段になって内定がもらえずに悔しがってた友達はいたけど、
なんか、就活とかで聞かれるのは、
学術のことより、課外活動についてじゃないですか?
サークルとか、人間関係のこととか。


あと、首席で卒業した人っていうのは、
今もちゃんとそれなりの記念品もらえてるんですか?
ボールペンとか。
別に大きく発表されてないけど、
そういうのって、どこかに発表されてるものなんじゃないんですかね?


あと、卒論を書かなくていい学部のコースってあるじゃないですか。
あれ、書いたほうが良いと思いました。
ほんと、後々すごく励みになります。
「俺、これ書いたんだなあ」って思いましたもん。
もしさらに上の学校に行こうと思ったとき、結構卒論て重要だと思いました。
「君は何を書いたの?」って言われたときに、「卒論これです」ってとにかく出せるし。
芸術系の人たちは卒業制作のポートフォリオを作ったりとかして、
なんとかアピールの場を持つじゃないですか。
けど、卒論もないまま、何かその場ですぐ消えてなくなるような、
たとえば、全部の授業出席しました、とか、
別に賞状が送られるわけでもないような授業って、
証明のしようがないですよね。
成績証明書を開いて見せたところで、
その授業は他の授業と同じ大きさの文字で、
いまいち価値の分からない「単位数」で、
同じ欄に書いてあったら、なんにもならない。


授業受けて、その先生から推薦状を書いてもらえるっていうような学生って、
ホント稀なんじゃないかとおもいます
ほとんどの人は自分で書いて、先生に申し訳ないような顔して会って、
サインくださいっていう、流れで書いてるんじゃないでしょうか。
特に留学している日本人は。


直接書いてくれるくらい教授と仲良しになるためには、
なんか、女の子だとずっと付きまとって、ちょっと周囲から、
「○○教授セクハラしてんじゃないの」みたいな目で見られて、
教授も生徒もなんか後ろめたい気分になりませんかね。


もちろん熱心な生徒はいるだろうし、
それを応援したくなる先生の気持ちも分かるし、
そうなれば推薦状だってなんだって書いてあげようってなるけど、
一方で
授業に普通に出て、先生と仲良くなるわけでもなく、
サークルにも大して出てなかったような人は、
一体どうすれば推薦状をもらえるんでしょうかね。


普通にゼミに出て、普通に卒論書いて、普通に卒業した人が、
いざ海外に出て活躍したいって思った時に、
一体誰が推薦状を書いてくれるんでしょうか?
情熱持って、手当たり次第に先生の研究室を叩くんでしょうか。


大学全入時代に入って、団塊の世代がいなくなって、
就職氷河期も終わって、
普通に大学にはいった人が、普通に会社に入れるようになったら、
その推薦状には、「彼は極めて普通でした」と書くのかな。
しかも自分で。
特にとりえがあったわけでもないような、
なんというか、のび太君よりももっと普通な、
空っぽな人がだんだん増えていくんじゃないかっていう気がします。


教育にできることってなんだろう?
高校に入れば人生の選択肢が芽生えはじめて、
大学に入れば選択肢が選べるようになる。
就職のときこそその選択肢をつかむ時だと、
そう思って僕は育ってきましたけど、
実際のところ、そうでもありません。


大学全入時代になったら、
たぶん、落第する生徒が増えるんじゃないかと思います。
同時に、
誰にでも80点あげちゃう楽勝教授っていうのもすごく増えると思います。
大学のブランドや教授陣の質で生き残りをかける大学が増えると思います。
小さい大学は大きな大学に買収されるようになって、
いろいろ合併が行われるんじゃないでしょうか。
そのうち、東大・京大の双璧は影を見せはじめて、
学部単位で学校を選ぶ人が増えるんじゃないでしょうか。
大学卒業生の質も下がって、
今度こそ、学歴がモノを言わなくなる時代になるんじゃないかな。
ゆとり教育がバッシングされるのだって、
学歴社会があるからであって。
全入時代になったら、もう一度ゆとり教育に似たようなものが出てくるんじゃないかな。


学歴がモノをいわなくなった時代に大事になってくるのは、
それでも大学の名前だと思います。
入学なら誰でもできる大学を、いかに卒業したかっていうのが
たぶん、大事になるだろうから。
そうなると、もういちど、首席卒業とか、次席卒業とかが大事になるんじゃないかな。
ものっすごく熾烈な大学内競争が行われるような気がします。
推薦文も書き甲斐があるってなもんです。


料理人や医者の世界って、やっぱり偉い先生の推薦状を手に入れるためにがんばったりするじゃないですか。
同じようなことが、大学で行われるんじゃないかな。
そしたらサークルなんてやってらんないですよ、きっと。
あるいはものっすごくサークル活動をしまくって
なんとか課外活動で点数稼ぐようなことが起こるかもしれない。
もしかしたら学生演劇がなくなるかもしれない。


ちなみに、いまちょっとGoogleで首席卒業を検索してみたら、
それで飯の種になっているのは音楽関係と軍事関係が大半っぽいです。


大学全入時代になるからいかんと言って、
今から子どもを増やしたところで、
今生まれてきた子供が20年後、
大学全入時代の終焉」とか、「入学氷河期」いう時代になってそれはそれでまたごたごたするんじゃないでしょうか。


大学って、なんなんだろうなあ。