二回目の鴻上のトランス。芝居よりも面白かったこと。


ひょんなことから、もう一度見ることができました。
一回目のトランスについては、こちら


いろいろありますが、
鴻上さんのトランスは大変なことになっています。
とっても劇的で、話題としては土産にしてたっぷり持って帰れるほどの話が、
鴻上さん自身もブログでおっしゃっているように、
あとで本に出せるくらいにあるんじゃないかと思います。

まず、役者の一人が舞台を休んでいます。
なんというか3人の中でも異彩を放っていた人だったので、残念です。
で、代わりの人が台本を読みながら本番をやってます。
こういうのを見るのは初めてではないので、
っていうか、
Equusで同じようなことがあったので、
そこはもう、しょうがないです。
エクウスでリチャード・グリフィスが休むなんて、日本だったら休演ですよ。
でも代わりにやってた役者さんもそれに負けじとうまいことやっています。


うまく出来ない言語の芝居をみたときに、役者が台詞を噛んでも
「へえ、そう噛むのか」と逆に勉強になるのでおもしろいですし、
と同時に、「そうかネイティブでも噛むんだ」と安心したり、
「僕も言葉が出なかった時にそうやってみよう」とおもったりで、
全然気にならないです。
日本語に厳しい人がいるように、英語に厳しい人はいるでしょうが、
「なに噛んでんだよっ!」と揚げ足を取るようなツッコミをするのは、
おそらく日本人独特の厳しさなんじゃないかと思いました。


で、芝居そのものは、以前よりも俄然面白くなっています。


4つの箱はまったく移動しなくなり、すっきりしてます。
会話のテンポも良くなってます。
慌しい日常会話といったところです。
こないだは聞けなかった鴻上節が、英語だけど、出てきたんじゃないかと思います。
台本を持ちながらの芝居も、最後のグチャッとなるシーンではまったく気になりませんでした。
あの役者さん、すごい。



今日の公演は終了後にポストトークがあり、
たくさんやってきてたアメリカ人たちで埋め尽くされてた客席から、
穏やかに質問が出されて、
それにゆっくりと確実に鴻上さんが
役者さんたちはジョークを交えつつ、英語で話してました。

芝居よりも面白かったこと1:同時通訳。


目の前で初めて生の同時通訳している現場を見たのだけど、
あの、聞きながら訳して話す
という、3つの仕事を同時にこなすのは
それこそどこか神経を三つに分けた状態で
やんないといけないんじゃないかと思うほど。
ある意味、同時通訳の人こそが、
トランス状態にあるんじゃないかと思いました。


あと、横で違う言語でコショコショと話されて、
それがもう当然であるかのように受け入れているという、
そういう、異様な雰囲気がありました。
同じ意味の言葉を、同時に、異なる言語で聞いたとき、
しかも両方の言語を同じくらいにわかっていたら、
もうなんか、とんでもないことになるんじゃないかと思います。
同時通訳をされる側も大変です。


よく、テレビで、英語で話している上に日本語をかぶせて、
英語はちょっとだけ音を小さくするっていうの、
あるじゃないですか。
で、英語で生の声やリズムを聞きたくなったり、
日本語で意味を補わないといけなかったり。
そういう頭のスイッチを切り替え続ける作業ってのは、
すっごく頭の疲れるもんなんじゃないでしょうか。


「そういうの面倒だから英語を話すようになった」っていう人は
結構いるんじゃないかな。


ちょっと話はそれますけど、
昔、アメリカにいたとき、
相手は英語で話して、
僕は日本語で話す、
ということがありました。
お互いに言っていることはわかっても、喋れないからこそ出来る
もう、とんでもないコラボレーションなんだけど、
これは端から見たらすごく奇妙に映る会話だったと思います。
でもそうしないと意思の疎通が出来なかった。
けども、やってる最中にホントに頭が痛くなって、
難しいことが考えられなくなりました。
難しいことを話したくてそういう会話をしたのだけど、
かえって難しい話が出来なくなった、という、
なんともおかしな思い出です。


こういうのが面倒だから、英語を話したくなるんだけども。


で、同時通訳の話に戻るけど、
同時通訳している現場を取り巻いている周りの人間も
大変なんじゃないでしょうか。
同時通訳がされているという環境を受け入れないといけない。
たった一匹のハエが会場を飛んでるだけで気が散るのに、
同時通訳をしている状況が、気が散らないわけがないんです。
けれど、通訳の人は、
なるべく場の雰囲気を壊さないように、
コショコショっとやる。
けれど、おおっぴらにやる。
これは何かのすごいヒントになるような気がします。
「やりますよ!やってますよ!このくらいでやりますよ!」
という、謙虚な傲慢がありました。
そうしないと、あの現場では同時通訳は出来なかったでしょう。


しかも、あの場にいた人たちの空気が、すごく暖かかったんです。
20人くらいがグループで来ていたっていうのも影響していたかもしれない。
ちなみに客席を占める東洋人が1〜2割くらいでした。
他は英語をネイティブで話す人たち。
Q&Aしかなかったポストトークもそれに助けられたような気がします。


あそこで誰か日本人が日本語で質問をしたとたんに、
きっと総スカンだったでしょう。
英語のできない日本人は引っ込んで、
英語のできる人がそこでは質問をする
という暗黙の了解が客席に通っていたように思います。
だからこそ、そこで英語にハンディを持ちながらも
英語を話さないといけない唯一の日本人鴻上尚史
同時通訳を許されたし、
逆に他の人間は同時通訳のコショコショにコミットしてはいけない
という、これまた暗黙の了解があったんじゃないでしょうか。
もちろん鴻上さんはこの「同時通訳可」の状況で
自分の英語を話し、自分の思うところを述べてました。
それがきっと、その状況に対するまっとうな行動だったと思います。
なんというか、
クイズミリオネアの、
ライフラインのオーディエンスだけ使って
500万円までいった解答者みたいでした。
潔いというのか、なんと言うかわかんないんですが、
かっこよかったです。


いつだったか、
ブリティッシュカウンシルの留学フェアで、
通訳さんがついて、イギリスから来たセンセイの話を
それこそ、一文ずつ訳していく、
交代々々で話していく形式があったけど、
この通訳の場合、通訳さんがちょっと前に出ちゃう。
ライブな感じはまったくないために、余計に正確さが問われて、
この通訳さんがちょっとでも誤訳してると、大変にがっかりしたものでした。


けれど、同時通訳は違います。
特に今回の同時通訳をしていた
さらには今回のトランスの翻訳もした
Amy Kassaiさんという人は
バランス感覚のちゃんとできた人だなあと思いました。
もちろん、客席から見てる分には
彼女が鴻上さんに何を言っているのかはわかりませんが、
同時通訳していることはわかる。
しかも鴻上さんはそれを聞きながらうなづきながら、
役者さんたちの回答も聞いていく。
こういうライブな感じは、何か興奮するものがありました。
多少の誤訳や意訳はもちろん許されます。
それよりも同時に通訳することが求められている。


耳元でささやく形式の同時通訳の相手は、
もちろんささやく相手でもあるけど、
同時にそれを取り巻く人たちでもあります。
両方にエクスキューズのできる人はあんまりいないと思います。


いいもの見ました。


芝居よりも面白かったこと2:勝手に沈黙する客席。


あと、第二幕開始の2,3分前、
ちょっと面白いことが起こりました。


5分前くらいから客席に戻ってきたお客さんたちは
それぞれに友人たちと話していて、がやがやしてたんですが、
席が全部埋まったように見えたとき、
最後の席に向かって身体の大きな男の子が
階段を一段抜かしでのぼって自分の席に着きました。


その瞬間、一気に話し声が消えたんです。
もう、芝居が始まる直前のような緊張感が小屋を占めました。
あるのは、静寂と、何が起こったのかわからない異様な雰囲気。
客席が暗くなったわけでもなく、
役者が舞台に入ってきたわけでもない。
客席が勝手に「見る準備OK!」の状態になったんです。
けど、別に芝居は始まりません。


この沈黙と緊張はすごかった。


次第にこそこそ話がはじまり、
ある少年は雰囲気に耐え切れず笑い出したり。
声のボリュームはだんだんと大きくなり、
ガヤガヤも元に戻りつつありました。

で、
肝心の二幕が始まる瞬間に達したとき、
今度はガヤガヤがなかなか収まりませんでした。
照明が落とされて、真っ暗になるにあわせて声は小さくなったけれど。


変な公演でした。