通し稽古の効能

こっちでは、通し稽古のことをRun Throughといいます。
なんとなくコンピュータの初期のBasicとかやっていた頃、最後に「Run」と書いてエンターキーを押したことを思い出します。
「あとはやるだけ」っていう、そういうなんというか、駆け抜ける感じとともに、反省はせずにただただやってみるっていう感じが、Run Throughという言葉にはあるような気がします。

さ、通し稽古の効能について、考えてみたいと思います。
通し稽古では、これまで稽古してきたシーンを始めから最後までぜんぶやります。理想では、本番前の2週間前、1週間前など、週単位で稽古のスケジュールを立てた時の最後の日(だいたい土曜日)にやるのが良いと思います。で、日曜日にモーレツに反省して、月曜日からまた新たに稽古をしていく、という、なんとも公文式にも似た反復を繰り返していくわけです。


その通し稽古で何が分かるか?
1・芝居の全体像
2・シーンとシーンのつながり
3・各パート(スタッフもキャストも)の足りないところ
4・お客さんの反応

といったところでしょう。
この通し稽古を成功させるためには芝居をする役者も、それを演出するスタッフも、制作の人間も、「今、目の前で行われている芝居」に集中していないといけません。全力を出して通し稽古に望んだ挙句、ボロっかすのような芝居ができても、それはそれで、成功です。「あー、やることたくさんあるわ」と反省して、次につなげればいいのだし。
極端に言えば、間違えるための稽古なワケで、恥をいくらでもかいていいという環境が、稽古場であるわけです。通し稽古でいっぱい失敗して、膿を出し切って、本番にいい物を作ればそれでいいのだけど、かといって、「本番でいいもの作ればいいんでしょ」とナメてかかっていると、本番でも痛い目にあいます。通し稽古であんまりにいいものが出来上がってしまうと本番までに気が緩んでしまったりとかして、ちょっとしたことでつまづいてしまいます。
なんしろ、通し稽古というのはあくまで稽古だということを肝に銘じておかないといけません。いっぱい間違えて、いっぱい恥をかいて、反省して、次につなげる、というのが、通し稽古に限らず、稽古というものです。


そういうわけで、ボロッカスな通し稽古をしたからといってガッカリする必要はないのだけど、やって失敗する通し稽古というものも実はあるわけです。どういう時かといえば
1・どうせだめだろうと役者全員が思っているとき。
2・シーンの稽古が全然できていないとき。
3・稽古の時間が、芝居の上演時間より短いとき。

3はもう、通し稽古が最初から最後って言っているのに、最後までできないんだから、通し稽古そのものができない状態です。こまごまと通すのは、切り通し稽古とか言います。

2の状態はちょっと悲惨です。
「あれ、これどうするんだっけ」と役者が途中で演出家に意見を聞き始めます。そうなると通し稽古の目的の一つである「時間を計る」のと「流れを読む」ことが、芝居を中断することでぶっつり途切れてしまって、できなくなってしまいます。
もちろん、シーンによっては、本番の舞台に入ってみないと分からないような、そういうハイテクなシーンもあったりしますが、大概において、そういうのは演出家と役者とスタッフの間にある想像力でもって補うものです。そういう想像力への信頼が出来ていない稽古をしていると、通し稽古では悲惨な状況になります。もちろんこれも反省すればいいのだけども、「なんだ、通し稽古なんかやっているよりもシーン練習したほうがいいじゃないか」ということになってしまって、通し稽古の面子は丸つぶれです。

1の場合が最悪な状況です。
こうなると反省したところで全部理由が「気が散ってたから」ということになってしまう。で、通し稽古でわかったことといえば、「気が散ると芝居は詰まんない」という当たり前の答えしか出てこない。
A:どうして台詞でなかったの?
Q:あ、いや、他のこと考えてたから。
A:こないだいった感情の流れ、つかめてた?
Q:あ、そうか、すっかり忘れてた。いや、覚えてたらちゃんとできるって。
など。

で、「じゃあ、今度しっかりやろうね」などと言って甘やかすわけです。

で、スタッフの人たちにも、「いや、今回は全然役者がだめでさ、だからこの音楽や明かりでもちゃんとできるようになってるからさ、ホント大丈夫だから」と未来に託すような、予言じみたいいわけしかできない。

だいたいにおいてそういう時役者さんたちは自覚をしていて、「やべえな、台詞全然覚えてないや」とか「段取り覚えないと、まじで叩き込まないと」とかそういうことをモーレツに反省する。
この姿をみるとたのもしいったらないです。


役者が嫌がるものの一つに、もしかしたら通し稽古があるかもしれません。
でも「そんなこと言ってると、通し稽古するよっ!」っていう言葉が脅し文句になっているような稽古場には行きたくもないです。


高校で芝居作ってたとき、「きんちゃん、通しをもう一回しよう!」と役者がせがんできたことがありました。僕は時間もないし(下校まで40分、上演時間60分)、無理だろうと思っていたのですが、「死んでもやりたい」みたいな半ば脅迫に近いものを受けて、「じゃあ、二倍速でやろうぜ」と提案して、やりきりました。もちろん、30分で終わることはできなかったけれど、一気に芝居が完成に近づいた瞬間でもありました。
ギリギリで、台詞もめちゃくちゃで、声は叫んでいるだけだし、動きは早歩きで、ポーズもバッチバチ決まって、すごく笑えた。あんなにテンポのいい芝居はないし、感情の塊がドシドシ迫ってくるものもなかった。役者全員が面白いものを作っているんだとやっと認識できた瞬間でもあったように思います。
あんなに成功した通し稽古もめったにないです。


いろいろ考えるところはありますが、なるべくなら通し稽古はたくさんやったほうがいいように思います。通さないと分からないクライマックスの姿というものがあるし。


嫌だ嫌だと思っていた先輩方からのダメだしも、実は大事なもので。
「これ、お客さんに見せられるの?」っていうのも、実は大事な一言だったりします。


なんていうか、もうほんとうに、通し稽古だけは、集中してやりたいものですね。