ちょんまげつけた外国人。


MIKADO
by Gilbert and Sullivan
reproduction Of 1885



19世紀後半にギルバートとサリバンというコンビがイギリスでオペラを作りました。
その中で最も人気があったのが、MIKADOというものでした。
室町時代と思われる日本を舞台にしたサヴォイオペラです。
全員がちょんまげのかつらをつけて、
着物を着て、英語を喋ります。
なぜか全員が扇子をもち、何かと言うとバサッと広げてもう片方の手を上げて、
ちょうど、「あらまっ」という格好をします。
二の腕を水平にして、ひじを直角に曲げて、手のひらを正面に向けるポーズです。
時にはこの「あらまっ」の格好で群集が出入りします。
もちろん最後のミカドの登場ではこの「あらまっ」が何かしら威厳を持ったポーズとして使われます。
ちなみに扇子はキャラクターの重要度によって大きくなります。


ちょっと思ったんだけど、
この「あらまっ」はバレエの「くるみ割り人形」で出てくる中国の踊りで
人差し指を天に向けたままピョコピョコ跳ね回るのに酷似しています。
西洋の人たちは一体東アジアのどんなジェスチャーを見てあの格好を見つけたんだろうとすごく不思議です。


あれはなんというか、よくアメリカ人のポーズとして日本人がやる
「I don't know」の
両方のひじを曲げて手のひらを天に向けるのと似ている気がしますが、
あれは実際によくやってるからであって、
「あらまっ」のポーズは日本人でやっているのを僕は見たことがありません。
あれかな、歌舞伎の見得を切ったときの手のひらを正面に向けたポーズがやりたいのかな。。。


と言うわけで。


Mikadoジパングが大好きな西洋人が必死こいて作り上げた桃源郷です。
あれはジパングであって、日本じゃないです。


でさ、
日本人が愛国心ないとか言うけどさ、
日本人ほど日本のこと好きな国民はいないと思います。
ただ自分の国がバカにされているのを見ないで過ごしているから、
あるいはバカにされているのに慣れてしまっているから、
なにくそっていう気持ちが湧かないだけであって。


ティファニーで朝食を」のメガネで出っ歯のユニオシさんが日本人であると知って見ている人っているんだろうか?
ライジングサン」をみて、あれ作った人たちは日本のポルノばかり見ているってことばかりが伝わります。

もうこの二つをみて、日本が出てくる洋画は見なくなりました。
ロスト・イン・トランスレーション」も見たけれど、
あれはソフィア・コッポラの友達がああいう人たちなんだなっていう感じしか受けませんでした。
あれを日本の現在の姿だなんて、いわせたくないです。


愛国心を持たせたいなら学校の授業で無理矢理にでもMIKADOを見せたら良いと思います。
「全然わかってないじゃん、あいつら。バカじゃないの、なんて失礼な民族なんだ」
と思うこと間違い無しです。
同時に他民族への怒りも植えつけてしまうことになりますが。

宮崎駿高畑勲アルプスの少女ハイジを作った時に一番考えたのは、
「あっちのひとたちがこれをみて、畳を土足で歩くようなことをしていないだろうか」
ということだったそうです。
こういう気遣いを、ギルバートとサリバンは持っていなかったんだろうか。


今回のMIKADOも、いいところはあったんです。
衣装の色使いがとても日本を感じさせました。

けれど着方を間違っていたために台無し。
特に女性陣の半分が右前で着付けていました。
抜き身の短刀を素手で取るようなことはまず誰もしません。
さらにはその抜き身のまま帯にしまう!!!あぶないっ


音楽もキャッチーでした。
けれど台詞ががっかりでした。
「ニホンジンはポケットハンカチーフを持たない」とかありました。
手ぬぐいもっとるわ!

西洋の顔をしていても、ちょんまげや着物は結構似合うものなんだと思いました。
カツラがドリフトかで使うコントカツラだったのが残念でした。
あと、なぜか男性の群集たちは白粉で顔を白くするんだけど、ほっぺたは赤丸ほっぺで、しかも白粉を塗ったところで、輪郭を黒く線で引いていました。
たぶん、浮世絵を見て、輪郭線をホントに黒い線で顔に書いているを思ったのでしょう。


バッカじゃないの!!!!!


なんていうか、素材はいいんだけど、もうちょっと気を使って欲しかったです。


あれじゃないかな、ディズニーのアラジンとか、ムーランとか、あれ結構嫌がっている人たちいるんじゃないかな。

無知と傲慢とオリエンタリズムの境地です。


MIKADO、ぜひ全国の愛国心教育万歳の人にオススメです。


っていうかさ、あれを作る時にせめて日本人なり日本にちゃんと詳しい人をアドバイザーに付けた方がいいんじゃないかと思います。
着付けとかさ。格好とかさ。せめて。