うちやまつりのプレイリーディング


エディンバラで英訳された「うちやまつり」をやってて。
今日は国際交流基金の建物で、ロンドンで公演する際の役者たちで、
プレイリーディング(台本朗読)が行われたので、いってきました。


脚本は深津さんだけど、
もちろん英訳されてて、演出もイギリス人によって行われるそうです。
2日前にはエディンバラでやってたそう。

実は桃園会の舞台は見たことがなくて、
なので、深津さんの芝居に触れるのはこれがはじめて。
しかも英語。
それでもなかなか面白かったのは、きっと英語が分かりやすかったのと、
そこここに現れる日本独特の雰囲気があったからだと思います。
もちろん読んでいる役者さんたちはイギリス人なんだけど。

たとえばインコだったり、
池田屋事件だったり、
空き地だったりするんだけど、そういうのってたぶんロンドンの人にはなかなか分かってもらえないだろう事柄なんだけど、
そんなのお構いなしに、「これが現代の日本の演劇なんだ」という感じで翻訳されていました。
面白かったです。


朗読のあと、軽い交流会があって、
そこで「僕、同志社小劇場でした」って言ったら、ちょっと酔っ払った風の深津さんが定まらない視線で、あ、そう、あそうと繰り返していました。
深津さんは第三劇場だったので、なんともいえない空気になってしまったんですが、
とにかく話せてよかったです。

ホントはもっといっぱい話したいことはあったのだけど、
なんだか周りの人たちが深津さんを守るような感じで裏門から出ようとするので、
僕らただの訪問者は表から出なくてはならず、
なんだかちょっと、あとからあとからもったいないことしたなぁ、とちょっと思いました。


自分の脚本がロンドンで上演されることって、深津さんにとってはどんな感じなんだろうかとか、
自分のあまり理解できないコトバで自分の知っているはずの芝居が行われるのって、一体どういう気持ちなんだろうとか、
いろいろ聞きたかったのだけど、
それはそれ、仕方の無いことなのかな。僕はやっぱり普通の一般のお客さんなんだから。


たとえ同じ大学を出て、となりのサークルに入っていたとしても、
たとえロンドンで演劇をやろうとしているという同じ境遇にいても、
たとえ共通の友人がいたとしても、
僕と、舞台の上にいる人とのあいだには深くて広い溝があるんだと思う。
僕はすごくそれが悔しいし、僕は早く舞台の上に立つ人間になりたいと思っています。
そしていつか、今日の僕みたいな人に出会ったら、
「今日、このあと大丈夫?いろいろ教えてよ」ってこっちから話したいなと思います。


がんばろうって、ホント思った。