三島由紀夫の偉大なる夢オチ。


豊饒の海』(春の雪、奔馬暁の寺天人五衰 からなる四部作)
by 三島由紀夫


キンダイシュラン《★★★★★》



おもしろかった!!!!!!!!!!
もう、どうせ読まない人多いだろうから、ネタバレもネタバレで書きますよ。

夢オチです!!!!


第一巻の「春の雪」は清様と聡子の華麗なる悲恋の物語。
ここで聡子は尼さんになって、清様は20歳で肺炎のため死にます。
大親友だった本多君に今まで書いた夢日記
「きっと会うぜ、滝の下で」と言葉を残して。


第二巻「奔馬」は清様の友達だった本多君が38歳になって、
遺言通り、清様の生まれ変わりである飯沼勲君と出会います。
飯沼君はちょっと社会に向けてその若さをぶつけすぎて逮捕され、
本多君はその弁護士として彼を守ろうとするも、
勲ちゃんは保釈のみでありつつも脱出、20歳の若さで社会の悪を刀で切りつけた後、
割腹して自決します。
「女に生まれたらいいんですかね、じゃあ」と本多に言葉を残して。


第三巻は「暁の寺」。舞台はタイとインドと日本。
本多さんは急にお金持ちになってて、
旅行先で出会ったタイのお姫様がいきなり飛びついて
「会いたかったです、本多様!」
としがみついて、自分は日本人の生まれ変わりだと話すのを聞いて、
脂がのってエロ親父になった本多君はすっかり夢中になっちゃいます。
太平洋戦争が終わって、
成長してムッチムチのピチピチギャルになったお姫様が来日するのだけど、
本多さんと会った時にはもうすっかりその幼いころの記憶は消えているようでした。
公園で夜中ノゾキするのが趣味になってた本多さんは、
自分の別荘に招いてお姫様の裸を覗こうと必死になるも、
別荘は他の客のSMプレイのせいで火事になってしまいます。
で、お姫様は傷心のままタイへ帰ったのち、
20歳の春、庭でヘビにかまれて死んじゃいます。


第四巻「天人五衰
タイのお姫様が死んでから16年がたったとき、
本多さんはもう76歳になっているのだけど、ふと訪れた港の信号所で
安永透くんに出会って、生まれ変わりの証しである三ツ星のほくろを見て養子にします。
ただどうもこの透くんは違うっぽいのだけど、本多君はかまわず養いますが、
透くんは本多ジジイをむげに扱うばかり。
清様が残してくれた夢日記は焼いてしまうし、20歳になっても死ぬ雰囲気がまったく無い。
と、ふとしたことで本多が自分を養子にした本当の理由を知った透くんは、
清様の夢日記を読んだ後、メタノールを飲んで自殺を図るも、失明にとどまり、
あとは世をはかなんで、ブッサイクな女の子と結婚します。
80歳にもなる本多爺は自分の死を悟り、自分が癌だとわかってすぐ、
第一巻で出会った、尼さんになった聡子の入った寺を訪れるのだけど・・・。



いやぁ、あの、すごいわ。
久しぶりにしっかりした小説を読んだ。


しっかし、聡子という人はいけない人だね。つくづく恐ろしいわ。
あと、三島の描く自然というものは恐ろしいほど緻密で、的確で、しかも物語にぴたっとくっついていて、
自然の描写がすなわち物語の描写にもなってるあたり、すごいと思う。
さいご、聡子のいる寺に行く風景が80歳になった本多さんのズタボロの視界を通じて描かれるのだけど、もう、めまいにも似たような気分にさせます。
風景はそのままに、その細かいところをホントに細かく描くことで、次から次へと現れる自然の大洪水が、ページからこみ上げてくるような、
そういう描き方です。


すごい。


あと、いちいち読み手の皮膚感覚と、文章で表れる感情が重なっているのが恐ろしいです。
なんであんなにも読み手の感覚を支配できるのだろうかと、不思議で仕方ないです。


読み始めたのが9月の中旬。一ヶ月と結構かかったけれど、「春の雪」、「奔馬」を読み終わったあとはもう、流れるようにして読めました。
「春の雪」はちょっと胸にグサリグサリと刺さるところがいっぱいあって、しんどかったです。


この4巻ある中でいちばん面白いのは「奔馬」だと思う。
飯沼勲との出会いも、清様の夢日記との絡みも、
そして最後の裁判のシーンで北崎さんが
「いや、どこかで見たことあるようなと思ったけれど、それは20年ほど前の方です」
と証言する瞬間の戦慄といい、
いちいちびっくりするところがあって、特にビリビリしながら読んでました。


暁の寺」は要するにエロ小説で、
そこに仏教の輪廻転生の権化のようなベナレスの業火を目の当たりにした三島由紀夫の興奮が重なって、
そのまま小説になったような感じを受けました。


天人五衰」はもう落ちるしかない滝の流れに身を任せるような速度で話が進んでいきました。


どの巻にも必ず人が集まるところに黒い犬が出てきます。
「春の雪」では清様と本多君が遊んでいた家の庭で、死体になって滝つぼに浮かんでいるのを、のちに聡子が出家する先の御門跡がお経を読んで弔います。
奔馬」では清様の父上さんたちが集まるセレブパーティの庭で見たりします。
暁の寺」では本多君の別荘で客の寝静まったときに、外の庭で何かうなるような声を聞くし、
天人五衰」では透君のお見合いの場の庭で急に飛び出してきます。
実は生まれ変わり続けたのはこの黒い犬で、
他の人物はまったくもって全然生まれ変わりでも無いんじゃないかという、
そういう話でもあると思います。


結局これは本多君の夢だったのではないかという話だけど、
夢と現実の間を行ったり来たりしている間に、
夢が現実を浸食して、支配していくという流れを
うまい具合に組み込んだやったものだなあと、すっかり感心してます。


この「天人五衰」を書いたあと、三島は市ヶ谷駐屯地へ行って、割腹自殺するわけだけど、
ちょっとかっこよすぎるような気がします。
三島自身、自分がどう死ぬのか気が気でならなかったんだと思いました。
昭和元年に生まれて、昭和45年に死んだ三島由紀夫だけど、
そのぴったりとした几帳面すぎるほどの死に様は、ちょうど20歳で死んでいく主人公たちにも反映されているような気がします。
大きなことを言えば、20歳になって主人公が死ぬのと同時に、三島自身も少しずつ死んでいったのではないでしょうか。
暁の寺」を書き上げて、ホット一息ついたとき、自分のやってきたことと、これからやることを見比べて、三島の目にはどんな風に世界は映ったのだろう。
天人五衰」を書いているときの三島の精神状態はもしかしたらあまりよくなかったかもしれない。
どこか生き急いで、せまり来る執筆中の物語の終末と、自らの人生という物語の終末が重なったのかもしれない。


三島の自決というのは、とある世代にとっては、9.11のビル崩壊と同じくらいのインパクトを与えたように思います。きっと彼が死んだとき、あるいは彼の死を知らされたとき、自分がどこで何をしていたか、ありありと覚えているんじゃないでしょうか。


いままで三島由紀夫という人物は僕の中では
ものっすごくキレイな文章でものっすごく醜い人間を描く、
どんでん返しの名人だとだけ思ってましたけど、
どうやらそれ以上のものがあるようです。


面白かった。
暇な時にでもどうぞ、読んでみてくださいな。