オバマ氏、大統領選後の勝利演説、全文翻訳してみました。声に出して読みたい英語を声に出して読みたい日本語へ。

原文はCNNのサイトから。
http://edition.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/obama.transcript/index.html?iref=mpstoryview

翻訳に当たって、すでに翻訳しているサイト
アメリカに変化がやってきた」
http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/world/gooeditor-20081105-05.html
を参考にしました。


やっぱり演説ですから、声に出して読んで気持ちいいかったり、かっこよかったりしないといけないだろうって思って、やってみました。


声に出して読みたい英語としてこの演説は歴史に残るだろうと思います。
リンカーンの「人民の〜」演説や、キング牧師の「オレには夢がある」演説や、ケネディの「国のために何ができるか」演説に続いて、このオバマ次期大統領の演説は教科書に載るんじゃないかと思います。


じゃあ、どうぞ。

バラック・オバマ議員、イリノイ州シカゴのグラント・パークにて。その火曜日の大統領選の勝利宣言。


シカゴの諸君。


もしここに誰か、
アメリカとはすべてが可能な場所であるのかと疑ったり
我らが建国の父たちの夢は未だ生きているのかと戸惑ったり、
民主主義の力を疑問に思ったりするものがいたなら、
今夜が、その答えだと言おう。


その答えとは、
学校や教会にならんだ、この国かつてない人数による行列と、
3時間も4時間も待ち続け、その多くは生涯初めてだった、その人々とによってもたらされた。
彼らは今回こそはこれまでとは違うと信じ、自分たちの声こそが違いをもたらすと信じたのだから。


その答えとは、
老いも若きも、富めるものや貧しきもの、
民主党共和党、黒人、白人、
ヒスパニック、アジアン、アメリ先住民族
ゲイ、ストレート、身障者やそうでないもの、そのすべてによって語られた。


アメリカ人は、一つのメッセージを世界に送ったのだ。
つまり、われわれは民 衆 の寄せ集めでも、赤の 州 と青の 州 の寄せ集めでもない。
われわれは常に、そしてこれからも、アメリカ“合衆国”なのだと。


この答えは、
長きにわたって悲観的になり、おびさせられ、疑り深くされてしまった人々を連れて、
彼らの手を歴史の大きな弓に届かせ、そのしなりをもって、より良い未来の希望へと飛ばしてくれるだろう。


思えばこれまで長かった。
しかし今夜、今日という日の、この選挙の、この確かな瞬間があったからこそ、
アメリカに変革は訪れた。


先ほど少し前に、マケイン議員から非常に丁寧な電話をいただきました。
マケイン議員はこの選挙で長く熱心に戦った。
そして彼は彼の愛する国のためにずっと長く、ずっと熱心に戦ってきた。
彼はアメリカのために身を捧げるにも耐え、われわれの多くは想像なしえないだろう。
われわれは、この勇敢で無私な指導者の奉仕によって、より良い現在にいるのだ。
私は彼を称えよう。私はパリン知事たちの成し遂げたことを称えよう。
そして私は彼らとともに、この国の約束を新しくしていく、これからの月日を楽しみにしている。


私が感謝したいのは、この旅路のパートナーだ。
彼は心の底からこの選挙に参加し、
スクラントンの街路でともに育った人々、デラウェアへの帰りの汽車で乗り合わせた人々のために語った。
彼とは、合衆国副大統領候補、ジョン・バイデン。


今夜ここに立っていられるのも、16年来の最高の友の尽きること無い支えのおかげだ。
我が家の要、生涯の愛そのもの、この国の次期ファーストレディ、ミッシェル・オバマ


サーシャ、マリア、お前たちが思うよりずっと愛してるよ。
約束の新しい仔犬と一緒にホワイトハウスに行こうね。


今ここにはいないけれど、私の祖母も見てるはずだ。今の私を作り上げた家族と一緒に。
今夜は彼らに会いたい。その恩は計り知れないということを、私はちゃんと知っているから。


マヤ、アルマ、兄弟姉妹すべてに向けて、支えてくれて本当にありがとう。みんなに感謝します。


そして選挙対策責任者のデイヴィッド・プラフにも。
この選挙の縁の下の力持ち、最高の、思うにアメリカ合衆国史上最高の、政治活動を作り上げてくれました。


戦略主任のデイヴィッド・アクセロッドにも、かれはこの道のどこでもパートナーだった。


そして政治史上最高の選挙活動チーム、これは君たちがやったんだ。
そして君たちの献身に私は永遠に感謝します。


そして何よりも、この勝利を真に手にした人を忘れません。
勝利はあなたの手の中に。勝利はあなたたちの手の中にあるのです。


私は常に大統領職への有力候補ではなかった。
われわれは資金も支援もあって始めたわけではなかった。
われわれの選挙戦はワシントンの議事堂で生まれたわけでもない。
それは、デモインの裏庭で、コンコードのリビングで、チャールストンの玄関で始まった。
働く人々がその少ない貯金から5ドル、10ドル、20ドルをひねり出して作り上げたのだ。


若者たちによっていま、この力は育まれた。
彼らは無気力だと言われた同じ世代の神話を拒絶し、
家族と家を離れ、低い賃金と短い睡眠時間のなかで働いてくれた。


それほど若くはない人々によって、この力は引き出された。
彼らは極寒灼熱のなか、まったく見ず知らずの人々のドアをノックする勇気を見た。
そして何百万ものアメリカ人民によっても。彼らはボランティアとなり、組織を作り、
あれから2世紀が過ぎたのちも、人民の人民による人民のための政府は、
この地球から消えてはいないことを証明した。


これは、諸君の勝利なのだ。


そして諸君は選挙に勝つためだけにやったのではないことを、
私のためにやったわけではないことを、私は知っている。
諸君は、先に待ち構える恐ろしい課題を知っていたからこそ、やったのだ。


今夜祝杯をあげていようと、
われわれは明日と共にやってくるこの時代最大の難関を知っているはずだ。
二つの戦争と、地球の危機と、世紀の金融危機とを。


今夜われわれがここに立っているいまも、
イラクの砂漠やアフガンの山岳で目覚め、
われわれのために命を賭ける勇敢なアメリカ人を知っているだろう。


子どもたちが寝静まったあと、
住宅ローンを組み、医療費を払い、大学進学のための教育費を貯えることを考え、
寝付けないでいる母親や父親がいることを、私たちは知っている。


新しいエネルギーを支え、新しい職を作り、新しい学校を作り、
脅威に立ち向かい、ひび割れた同盟の溝を埋めよう。


行くこの道のりはとても長い。この上り坂は急で険しい。
一年では、あるいは一期でもたどり着けないだろう。
しかしアメリカの諸君、私は今夜ほど、そこへたどり着ける希望にあふれたときはない。
約束しよう、われわれは、ついにそこへたどり着くだろうと。


数々の障害とフライングが待ち構えている。
大統領として出した私の指示や政策に賛成しないものたちも多いだろう。
そして政府がすべての問題を解決できるわけでは無いことを、われわれは知っているはずだ。


しかしいかなる挑戦に直面しても、私は常に諸君に正直でいよう。
諸君の声に耳を傾けよう。われわれが合意できなかった時は特に。
そして何よりも、諸君にもぜひ、この国家の再建に携わってもらいたい。
221年のアメリカの来た道は
ブロックの一つ一つ、レンガの一つ一つ、マメだらけの手と手によって作られたのだから。


21ヶ月前の真冬に始まったものを、この秋の夜に終わらせてはならない。


この勝利だけがわれわれの求めてきた変革ではない。
これは変革を作り出すきっかけにすぎない。
そして、もとあったやり方へ後戻りすれば、何も起きはしない。


諸君無しでは、奉仕の新しい精神無しでは、身を捧げる新しい精神無しでは、何も実現なしえないのだ。


さあ、新しい愛国心を、新しい責任感を呼び覚まそう。
われわれが調和をなし、努力し、自分たちだけでなくお互いを支えあう、そのところへ。


忘れてはならないのは、
このたびの金融危機からの教訓というならば、
街角が苦しむ中、ウォール街が栄えるようなことはありえない。
この国においてわれわれは、国家として、ひとりの人民として、山を上り谷を下るのだ。


これまで我らの政治を毒してきた、お決まりの党派対立や些細なことや未熟な争いに陥らないよう、
その誘惑を振り払おう。


よく覚えておこう、
共和党の旗を初めてホワイトハウスへに掲げた男はこのイリノイからやってきた。
共和党は、自助努力と個人の自由と国家の統一という価値観のもと作られた。
その価値観はわれわれも同じくするところであり、
民主党が今夜圧勝したからといって、それは変わらずあり続ける。
いささかの謙虚さと、われわれの進歩を阻んできた数々の分断を癒す決意を胸にして。


かつてわれわれよりもさらに国家が分断されていた頃、
リンカーンが言ったように、われわれは敵ではなく、友なのだ。
感情はこじれたかもしれないが、お互いの親愛の絆を断ち切ってはならない。


私がその支持を得ずにいたアメリカ人の諸君、
私は諸君の票を今夜は得られなかったかもしれないが、その声は聞こえている。
諸君の助けが必要だ。そして私は諸君の大統領にもなるのだ。


そして今夜これを見ているすべての人々へ、
海岸線を越えたところで、その議事堂や宮殿で、
あるいは忘れられた世界の街角でラジオを聴いている人々へ。
われわれの物語はそれぞれだが、われわれは運命を共有している。
そしてアメリカのリーダーシップの新しい夜明けはもうすぐそこだ。


この世界を引き裂こうとする者達よ、われわれはそれを打ち砕こう。
平和と安全を求めるものたちよ、われわれはそれを助けよう。


そして、アメリカの灯は今も明るく燃えているかと首を傾げてきたすべての人々よ、
今夜、われわれはもう一度証明したのだ。
我らが国家の真の力とは、武力によるものでも、巨万の富の力でもない。
それは我らの理想の力だ。民主主義と、自由と、機会と、不滅の希望の力だ。
これこそアメリカの真髄。アメリカは変わる。
我らが国家は完全になれる。
われわれがこれまで成し遂げたことによって、
われわれは明日何ができるか、何をすべきか、その希望がもてるだろう。


この選挙においては、多くの初めてと、世代を超えて語りつがれるべき多くの物語があった。
今夜私の心をよぎるのは、アトランタでその一票を投じたある女性の話だ。
彼女は他の何百万もの人々と同じように列に並び、その声を聞かせてくれた。
ただ一つだけ、このアン・ニクソン・クーパーは、106歳だ。


彼女は奴隷解放のすぐのちの世代に生まれた。
道路に自動車はなく、空に飛行機もないころ
まだ彼女のようなものには選挙権が2つの理由により許されなかった。
それは彼女が女性だったがゆえに、そしてその肌の色がゆえに。


今夜、彼女が見てきたアメリカでの世紀に思いをめぐらそう。
その心の痛みとその希望を、その葛藤と進歩を、
「できない」と言われた時代に歩んだ人々の心にあった、あのアメリカの信条を。
「できるともさ。」


女性の声は黙され、その希望は叶わなかった時代、
彼女は生き、そして見た。その一票のために立ち上がり声を上げた人々のすがたを。
できるともさ。


絶望的な砂嵐と大恐慌がこの地を吹き荒れたころ、
彼女は見た。国家がその恐怖をニューディールによって乗り越え、新しい職と互いの目的という新しい意識の芽生えを。
できるともさ。


真珠湾に爆撃をうけ、暴虐が世界を脅かしたころ、
彼女はその場で目の当たりにした。時の人々が偉業をなし、民主主義を救うのを。
できるともさ。


彼女はそこにいたのだ。
モントゴメリーのバスに、バーミンガムでの消火ホースの先に、セルマの橋の上に、
アトランタからの牧師が「われわれは乗り越える」と語ったところに。
できるともさ。


人類が月に降り立ち、ベルリンの壁は崩れ、世界は科学と想像力によってつながった。
そして今年、この選挙で、彼女はスクリーンを指でさわり、その一票を投じた。


このアメリカでの106年、よき時も暗い時もずっと過ごしてきた中で、
彼女はアメリカがどんなに変われるかを知っていたのだ。
できるともさ。と。


アメリカよ、我らは遠くへ来たものだ。そして多くをみたものだ。
しかしさらに多くのすべきことがまだあるだろう。だから今夜は自分たちに問おう。
もしわれわれの子どもたちが、次の世紀を生きて見るとき、
もし私の娘が、アン・ニクソン・クーパーのように幸運にもなれたら、
どんな変化を見るだろう?どんな進歩を我らはつくれているだろう?


いまその問いに答えるチャンスなのだ。今こそがわれわれの瞬間なのだ。


われわれのこのときこそ、われわれ国民がその職にもどり、機会の門戸を子どもたちに向けひらくときだ。
繁栄を取り戻し、平和の種をまき、アメリカンドリームをよみがえらせ、基本的真理をもう一度確かめ合い、
多くの中にあってわれわれは一つなのだと、呼吸し続ける限り、われわれは願い続けるのだと。
そして悲観と疑いと否定するものに出会ったところで、
われわれは時を越えるあの信条を、あの人々の魂の結論をもって応えよう。


「できるともさ。」と。


ありがとう。諸君に神のご加護を。そしてアメリカ合衆国に祝福を。

Yes We Canの訳語について

Yes we can
を、どう訳そうかちょっと困ったんですけど、
けっきょく「できるともさ」にしました。


日本語には「あたぼうよ」「がってんだ」「おうともさ」「てやんでい」などいろいろあるけれど、
このCanの雰囲気を持ってるのは、やっぱり「できる」なんですけど、
リズムも考えてとなると、やっぱり「われわれはできる」じゃだめなわけで
「やればできる」とか「できるはずさ」とかそういうのじゃ無いといけないわけで。
そこにYesが来て、Weとなって、「できる」となると、難しいんですね。
「おう、できるぜい」っていうのは、たぶん一人っぽいので、
「おう、できるぜ、な」ってなると、他にもたくさん人が居る感じがしますけど、
「おう、できるとも」のほうが、ちょっと任しときなっていう感じが出て、
そこに、「さ」をつけることで、「つってもお前もやるんだからな!」っていう共有感が出るんじゃないかとおもいまして。
そんなわけで、「できるともさ」にしました。
「もういっぱい!もういっぱい!」の一気コールの要領で「できるともさ」を喋ってみると、いいかと思います。