Forced Entertainmentを見てきた。

Spectacular
by Tim Etchell and Forced Entertainment
@ Rivierside Studio 2

キンダイシュラン 《★★★☆☆》


問題作っていうのは、こういうものに、つけるべきだと思う。
全然つまんないことなかった。
かといって面白くもなかった。
けれど、見た。
何度あくびしたかわかんないけど。

かといって、この公演が、たとえばタルコフスキーの映画みたいだとは全然ならなくて、
むしろ横軸につまらないものが、縦軸ではものすごく面白かった、というような、
そういうさくひん。


つまり、
なんにもない、黒い床に、どこかで見たことあるような、陳腐な照明がついたり消えたりして、
ふと、後ろのカーテンから骸骨の絵を描いた黒いタイツ地のシャツとパンツをはいて、顔にも骸骨のかぶる形のマスクをつけて、ふらふらと、申し訳なさそうに出てくる。


そこで、あるはずだったスペクタキュラーな舞台を、しどろもどろになりながらも、話していく。
彼の話が佳境に入る寸前に、女の人が出てきて、
「こんにちは、死ぬシーンをするので、見ててください」といって、死ぬシーンをやり始める。
骸骨のロビンは、彼女の死ぬのをみて、「こっち向いたほうがいいよ」とか「顔はお客さんに向けようか」とかいうのだけど、彼女はそれなりに従うものの、すぐに自分の好き勝手に死ぬ。


(ここを一緒に行った友達が面白いことをあとで言ってました。すなわち、
「彼女は自分のためだけに演技をしていて、ロビンはそれをお客との橋渡しをする役目を負っているんだけど、つまりは、彼女はドラマセラピーをやっていて、そこにお客がいるかどうかはあまり関係が無い。その彼女と、ロビンの関係をみて、さらに観客は自分と舞台と役者の関係を見るのだけど、彼女の死ぬ演技が全然お客に伝わらないのは、彼女の頭の中にお客というものが彼女の中にだけ作られてて、実際に目の前にいるお客さんが何をしていようと、かまわずに死ぬ演技をし続けたのだと思う」と。
するどい、と思いましたが、その鋭さをここで書き表せないのが、悔しいです。)


演劇というものは、まあ、いろいろやられているけれど
ついにはこういう暴き方をして、さらにその現実を見せる、という点で、
このSpectacularは問題作でした。


おなじく、友人曰く。
「ただ、この作品に関して言えば、その演劇のもつ問題を提示するだけしていって、解決をしないまま、あるいは自分なりの答えもだそうとしないまま、おわった。そうなると、『そんなことは俺だって考えてる』って思ってしまう。つまり、いうだけ言って、聞いちゃって、でもそこに落としどころがまったく無いまま終わっちゃった会話みたいなものだった」と。また
「そういう問題があるのは分かっているから、そこをなんとかクリアした作品を見たいものだ」と。


このSpectacularは演劇を作る人が見た場合、
「よくぞ、言ってくれた!」と温かい拍手を送るか
友人のように
「そんなことは俺だって考えてるさ、じゃあ、どうするんだ!」と応えるか。
そこら辺で、演劇というものに対する姿勢の具合も計れるような気がしました。


芝居作りに真剣な人は、きっとイライラしながら、この友人と同じことを思うのだと思う。
芝居作りをちょっとかじって、いい気になっている人たちは、この作品を代弁者としてとると思う。
芝居作りをしようと思っている人たちは、この作品を教科書のようにして使うと思う。
(この作品にはその、スペクタキュラーなモノが一体どういうものであるかという定義がはっきりしているから、台本を読めば、反面教師よろしく、いろいろな定義が見えてくると思う)
芝居作りをしない、普通の観客は、ただただ作れなかった芝居の言い訳を聞かされていると思うだろう。


実際に舞台に立って芝居をしてた、今回の俳優二人は何を思って舞台に立ってたのだろう。



演劇について、議論を巻き起こす演劇作品。
こういうのをメタ演劇というのだと思うし、問題作だというのだと思う。


問題作という意味では、野田秀樹のThe Diverもあると思うのだけど、
The Diverの場合、あの問題は異文化を交流させて作ってみました、という点で問題なわけで、
決して演劇そのものを問にかけるようなものではなかった。
演劇を通じて、文化の交流を話しているのだから、芝居自体は「どこがおもしろいか」で、ずばりと切れちゃう。


だけど、今回は、演劇を演劇を通じて問にかけるわけだから、
その芝居について考えるということはすなわち、演劇について考えることになってしまう。
案の定、芝居がはねたあとのパブではずっと「おもしろい演劇とは何か?」という話になってしまった。


Tim Etchellsの術中にはまったというわけだ。
まんまと。
でもこういうのは、3年に一回でいいと思う。
この劇団の名前も凄い名前だと思う。
「強制された娯楽」それは、つまり、お客の立場にも役者の立場にも言えることだ。