ポツドールの愛の渦をみた。


愛の渦
by三浦大輔
@Theatre Tops

キンダイシュラン《★★☆☆☆》



えっと、大変なものだとおもうのだけど
一つのリアリズムとして、参考になる作品だと思う。
マチネを見に行ったのだけど、あのあとまた夜の部があったりするのと、
受付に男の人がいないのと、
いろいろ考えてみたのだけど


ポツドールはこの作品ひっさげて ロンドンでやればいいと思う。

ビックブラザーの町だし。
セリフなんてあってないようなもんだし。
あれだけリアルにちゃんとできるんだったら、その手法でもって世界をぐるぐる回ればいいと思う。
頭のいい人がすごく好きになるPerformance Practiceの一つだと思う。


で、その内容ですけれど、
肉体関係ばっちり見せちゃうあたり迫力があるけど、
それよりも本音を言うあたりがギスギスして困ったりしました。


とりあえず目の前で、バスタオル一枚まいただけ(に見えるような)男女8人が、
ぎこちない会話のまま、「えっと、じゃあ、行きますか」みたいなことになって、
ロフトにあるベッドで、ブラインドを閉めて、
いかにも作ったかのような喘ぎ声で頑張るっていうのをみて、


そんで、劇中半ばではブラインドも閉めずに足とかお尻とかおっぱいとかブルンブルンしてるのをみて、


あれ、客席の左の方だったら見えるのかな、
とか思っちゃったりした昨日の昼下がり、
見た後ぼんやりしてしまって、
一日中考えてた友達を呼び出してお酒を飲みました。


性風俗がちゃんとある東京っていう町は、
ほんとのところ、いたるところにスケベなものがたくさんあって、
下手すると、電車に乗ってくるちょっと性欲強そうな女の子を見るだけでドキドキしちゃうような、
そういう妄想の広がる町です。


僕は男の子ですので、
女の子への「ヤリたい気持ち」っていうのはもう、十分すぎるくらいあって、
たまにすごく困るんですけど、
こういうものとちゃんと向き合うことっていうのが、大事なのかなとか、
ちょっと思ったりします。


性風俗の話をちゃんとするっていうのは、
あるいは、あまり大っぴらには言えないけれど、
いつも考えている頭の中のスケベな妄想とかのファンタジーが、
実際見えるもの、聞こえるものになったとき、
人と人との関係って、どうなるんだろうかと思います。


こないだ友達と飲んでて、けだし名言と思ったのが、
「恋人と下ネタの話になると、本気になっちゃう」っていう言葉で。



たとえば映画の話をする時に、
たとえばタイタニックの話をすると、
つまり目の前の澄ました顔している人も
レオ様とケイトのえっちして、ガラスが曇って揺れて揺れて、てのひらがガラスにバンってなるのを見てるわけです。

村上春樹を読んだ人も、
濃密なからっとしたエッチの場面を読んでるわけです。

でも、そこの話をしても「ああ、ありましたね」っていうんで流されちゃうけれど。


さくらん見た人は、冒頭のおっぱおオンパレードとか、
菅野美穂の腰振ってる後姿とか、見てるわけです。


そこんところをすっ飛ばして話さないまま、
「きれいだよね」とか言ってるけど、
その「きれいだよね」の裏側にいったいどれだけ共有できてるスケベな妄想があるんだろうかと思うと、
それこそ天津木村のエロ詩吟でいうところの
「なんだか今日はいけそうなきがするー」な状態になってしまうわけです。


大変に困りました。


こういうのを、ポツドール体験っていうんでしょうね。