木ノ下歌舞伎『義経千本桜』 を見てきた。

これから、木ノ下歌舞伎版「義経千本桜」の感想を書いていきます。
観劇中、メモを取ったりはしていないので、ほとんど記憶頼りの、
しかも三つ覚えると四つ目覚えた時に最初のやつを忘れるっていうくらいの記憶力で言いますから、
そのあたり差っ引いて読んでいただければと思います。


木ノ下歌舞伎_京都×横浜プロジェクト2012『義経千本桜』
@桜木町横浜にぎわい座
by 二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳
Directed by 多田淳之介・白神ももこ・杉原邦生
Adapted by 木ノ下裕一
7月20日16:00〜

キンダイシュラン《★★★★☆》


見るところが多すぎて、ここに書ききってしまうととんでもない量になりそうだけど。
いまふと思い出してみて、印象に残った中でも、なるほどなあと思ったのは、
吉野山」から「四の切」の始まるときに、一人後ろ向きの義経の背中が、感極まって震えていたこと。



『渡海屋・大物浦』 演出:多田淳之介

強い太鼓の波の音のだんだんと重低音鳴り響くどこかで聞いたことのあるDJリミックスしていく幕開けと、
あの歌舞伎独特の「子供」の記号的な声の出し方から始まる『トモモリ』。
知盛とおぼわしき男が真ん中に、女性たちがその周りをぐるりと囲んでいる。
中心の男が知盛とわかるのは、その腰に綱を巻き付け、必死に落ちまいとしているから。
知盛をはじめとする多くの女性たちが身を投げた壇ノ浦における入水の風景を彷彿とさせてから、
最後に残った知盛が、舞台後方にずずずっずっと引っ張られて、背面から足あげての入水。
ここにきて、あ、ちゃんとやってる、と思いました。
入水と言ってもその場で赤い着物を脱いではだけて白襦袢になった女たちが回転しながら崩れていくだけのこと。
それでも入水に見えるのだから、演劇の持つ、というか、約束事というか、先入観というか、
そういう日本人だからこそわかるものが漂い始めるこのオープニングは、どこか懐かしさすら覚えました。


再び舞台中央のすっぽん(のように見せるセリ)から知盛だった男が顔を出します。
尼崎に渡海屋があって、そこの主が銀平という。
その旨の義太夫の本文を、一つ一つ丁寧に言って、もう一度繰り返し、そうして現代語の、しかもくだけた感じを入れながらの現代語訳。
くどく感じる時もあるけど、きっと歌舞伎で使われている言葉を理解するにはそれくらいしないとだめだろうという、気遣いなのでしょう。


古典を読むのに教養がいるようになったのは、どうしてだろうと思ったりします。
古典の仮名遣いや文法が、話し言葉と乖離しているのは、それこそ歌舞伎全盛期だった江戸時代でも変わりないと思います。
いったいあの芝居での言葉遣いがどこから来たのか、あるいはあの言葉にこそ日本語のいいものが詰まっているんあじゃないかと、
歌舞伎の言葉遣いの文芸における当時の日本人のレベルの高さを見せつけてくれるのが、多田淳之介の演出だったように思います。
それがよくよくあらわれてたのが、相模五郎と入江丹蔵の掛け合いのシーンでありました。

見得の切り方からしゃべり方まで、全く現代の体になってしまっていてできない、へたくそに見えてしまう相模五郎と、
それでも何とかサマになっている入江丹蔵。
相模はいらいらし始めて現代語にしてしゃべり始めるのだけど、通じないために入江が歌舞伎の言い回しで通訳するという趣向は面白かったのだけど、
いかんせん現代語のしゃべり口調と、歌舞伎の言い回しの、言葉のレベルが全く違った。
というより、せめて、現代の人がたとえば目上の人にこういうことがあって大変でした、と報告するときに使うような、そういう言葉遣いであるべきではなかったか。


これは、今回の千本桜を通してみると余計に感じるのだけれど、
日本語には、時代による差と、地域による差と、話し相手による差と、3つくらいの差があって、
現代語に翻訳するときはせめて、地域による差と、話し相手による差は同じレベルにしておいた方がよかったのではないかと感じる。
現代口語と呼ばれるものがあって、まるで今の日本人がそうしゃべっているから、というような事を盾にして、
僕は聞いたことがない言葉遣いで話しているのをみると、なんだか違うような気がしてならない。
90年代に入って作られた新しい型としての「現代口語」というものがあって、それは現代の僕たちのしゃべっている言葉のありのままを書き取ったものではなく、
それなりに脱力というデフォルメを加えたようなものなんじゃないかとおもった。
現代口語にしても、歌舞伎の古典的なセリフにしても、それなりの体を作ってからでないと話すことができない。


相模五郎が、知盛が、あるいは乳人典侍局が、歌舞伎語と現代口語とを行ったり来たりしていたのだけど、
多田淳之介曰く「負けが込む」と現代語になっていく、つまり自分の立場の上下を言葉の時間軸を一致させる試みは、まるで現代語が弱音のはけ口になっていくような気がした。
そうして現代語が増えてくると流れ始める現代のPOPミュージック。しかも爆音で流れるそれは、しゃべっている言葉の意味を失わせて、俳優の「叫んでいる」という姿だけを浮かび上がらせる。
それはなんとも悲しい絵だった。


義経の反撃にあって「負けこんでくると」波の下にお母さんやおばあちゃんが先に行って待っている都があるから、そこへ一緒に行こうと、典侍局は幼い安徳帝をくどく。
そこへ流れるインストルメンタルの「Tsunami」。大変に明解。
日の丸を背負った帝を、アメリカ国歌をバックに現れた義経が「俺に任せろ」と言わんばかりに帝を自分に渡せと迫る。
涼しい顔した義経は、必死の形相の知盛たちをてっぺんから見下ろす。そうして知盛は「全部ばれてたのかよ!!」と叫び(ここで笑えるのが現代語の特徴なのだと思う。)帝を義経に渡す。
残された知盛は周りを死んだ女たちの着物をかき集め、大量の荷物にして担ぎ上げ、つまり死んでいった仲間たちの抜け殻をイカリにして自らも一緒に沈んでいく。


政治的な問題をつい勘ぐってしまうのだけど、そしてもちろんそれもあるのだろうけれど、
それよりも僕は、現代語と歌舞伎の言葉との関係を考えてしまった。

なにより、名物の「魚尽くし」がどっかへすっ飛んでしまったのが、やっぱり悲しかったのだと思う。
わけわかんないしね、急に魚だらけになって。


『いがみの権太』 演出:杉原邦生


現代口語と歌舞伎のセリフが入り混じっていた(時には通訳も入った)一幕目とうってっかわって、いがみの権太の段になると、会話のすべては歌舞伎の台本になっていた。
世話物ということもあってか、会話のテンポもよく、そして難しい言葉もそれと感じさせない自然な演技をたもっていて、うまいと思った。
白眉は、弥助に身をやつした維盛を、それとは知らずに夫婦になろうと誘うお里がむげにされて、しゃべるかともおもいきや、スローなR&Bバラードに杉原のラップをのせるところ。
上手なもんだなあと思いながら見ていたけれど、そのうち、女を気持ちを男が歌うのは面白いなあと思った。
AKB48の歌の主語は「僕」だけど、あるいは歌謡曲にある、語る性が歌う性と逆になるというのは、なにかこころを強調する特別な効果があるのだろう。


唯一の現代語は維盛の最後の長いセリフであった。
「なんでそんなことできんの?!」と現代語にすることで、権太や弥左衛門たちの勘違いから起きた殺しの現場を、あの時代だからこそ起きたのではないかと、突き放す。
維盛はそのあと出家するのだそうだけど、その動機は自分の価値観と社会の価値観の大きなズレであったことは想像に難くない。
この長いセリフに出てくる疑問は決して維盛の弥左衛門一家に対するものだけではない。
演出する人間の、「いがみの権太」という演目に対する疑問の叫びでもあった。


梶原や小金吾や義太夫をやった森一生の発声が抜きんでていて、ほかの俳優たちとなにか全く違う舞台を見ているようだった。
とてもうまく感じたのだけど、それが今回のいがみの権太に関して言えば、よかったのかいけなかったのか、微妙な評価になってしまうだろう。


渡海屋では下手すぎる相模が目立ったが、
いがみの権太ではうますぎる梶原が目立った。
そういうで、いいのだと思う。

吉野山』 振付:白神ももこ


そうか、平氏赤旗と源氏の白旗が混じって、桜色に見えるのだな、と思った。
千本桜の意味するところはなんだろうと思っていたから、これは思いがけない収穫だった。


ダンスと日舞のちょうどいいところをうまくやっていたと思った。
踊りに関してはよくわからないのだけど、
どれだけイメージを爆発させることができるかが問題なんだと思う。
その点、吉野山を行くというよりは、何か平和な丘の上を転がって落ちていくような朗らかさと、
実は裏側にある戦いの恐怖をじっとたたえた踊りだった。


ひとりの男がハイキングの姿で登場し、華やかな白拍子と二人の妖精のような踊りに、不気味な影をもたらしていた。
その男が空色の雨ガッパをまとってからの、古いテープの音楽は、それこそ不気味そのものだったような記憶だけがある。


日本舞踊には、永遠とも思える時間が流れていると思う。
それは吉野山を過ぎて逃げていく静御前と忠信の、果てしない道のりを表しているかもしれない。
何かに耐えながらじっと中心で踊り続ける白拍子のひたすら美しい容姿に時間も忘れる。


様々な「亡き王女へのパヴァーヌ」をいくつも用意し、子ぎつねテーマとして繰り返していくうちに、
永遠に続き続ける吉野山は、始まってからもうすでに終わり続けていた。
そういう『吉野山』だった。


『四の切』 演出:多田淳之介/白神ももこ/杉原邦生


そういう『吉野山』からグラデーションのかかるように、これまで登場した人物たちが舞台奥からやってくる。
先頭を歩いていた義経が、舞台ツラ上手の客席へと降りていく階段の、その半ばで振り返ると、
だんだんと登場人物たちがさっきまでやっていたシーンを始める。
とあるところでは入水の場面が、とあるグループではクドキの場面が、およそ八つほどの小さな場面が一斉に一つの舞台で展開されるが、それはすべて義経のもたらした場面であることを感じさせる。
アッと思って義経を見るとその背中は涙に震えていたのだった。


動き出す義経義経が近くを通ったグループは芝居を中断していく。やがて去る義経と、静まっていく舞台上の人物たちは、ポツリポツリとその衣装を脱ぎ、木ノ下歌舞伎オリジナルT-シャツをあらわにする。
「俺も着ている」「あたしも着てる」と次々にT‐シャツ姿になっていくと、舞台も幕を上げていって露わな姿になった裸舞台で四の切が行われる。


佐藤忠信がやってきた、という先ぶれと、さらにもう一人佐藤忠信がやってきた、と、出演者の男性陣すべてが「自分は佐藤忠信だ」と言い出すところは面白かった。
そこへ今度はピンクのランジェリーを思わせる姿の静御前が、出演者女性ほとんどを従えて、ギャルギャルしく言い訳する。
このギャルギャルしい静御前という解釈はとても腑に落ちた。歌舞伎の四の切でも花魁姿の静御前だったし、こうでなくちゃとうなずくものだった。


えてして「四の切」はイリュージョン待ちになりやすい。
早着替えはいつか。階段からくるっといつ出てくるのか。早く空飛ばないか。
話の内容よりも仕掛けや踊りを見に行く芝居になってしまいがちなのだ。
木ノ下歌舞伎においてはそれらしい仕掛けがあるような舞台ではないから、さあ、どうするんだろうと、やっぱりイリュージョン待ちになってしまった。
けれど、イリュージョンを待つ間もコミカルに現代語でもって進む話の展開。
ライオンキングをパロディにした初音の鼓の由来から、源九郎狐の一人語りなどあって、待つその時間も楽しめる。


特に狐の一人台詞。動いてしまう体とそれを制御しきれない言葉と脳みそが悲しい。
やがて繰り返していく動きの中に、親を思うけど、別れねばならぬ、その悲しみがにじみ出た。
とてもよかった。


つづみを返してもらった後、出演者全員がそろって源九郎狐を鼓と一緒に胴上げをする。
その祝祭ムードそのままに、俳優たちは客席に繰り出し、そこかしこから何か重いものがのしかかってそれをはねのける動きを何度も何度も繰り返す。
声を合わせ、何度も何度も「よいーしょっ」を繰り返すうちに、たしかに客席が一瞬軽くなったように感じた。


祝祭的なカーテンコールは、徹底的に祝祭であるべきだと思った。

最後に

全体面白かった。うん、ちゃんとやってる、と思った。
面白いところをきちんと逃さずに、真正面から取っ組み合って頑張っている姿がすがすがしかった。
杉本博嗣の文楽を見て激しくがっかりして、怒り心頭のままこのブログにも書いたことがあったけれど、
木ノ下歌舞伎『義経千本桜』に関して言えば、そういう怒りは全く湧いてこなかった。


演出の力というものはここまでできるんだ、というのをきちんと見せつけてくれた今回の公演は、
きっとビデオで見たらつまらないものになってしまうんだと思う。
あの場にいなかった人間に、いや、俺居たよ見たよ良かったよ、と言えるそういう芝居だったと思う。