高く飛べ、速く走れ、深く潜れ。

KindaichiOhki2008-05-05



昨日の夜、ふと思いついて、刀鍛冶になりたいと思った。
思い立ったが吉日といいますか、
その場で全日本刀匠会のホームページをのぞいて見て、
さらに、「日本刀が出来るまで」の映像も見てみた。
世の中基礎知識を得るには大変に便利ですね。
ただこの基礎知識だけではもちろん世の中は渡れないわけですが。


熱田神宮の宝物館で鎌倉時代のぎらっと反った刀を見てからというもの、
その美しさは多少わかったつもりでいるのだけど、
荒沸え、小沸え、の区別、直刃、乱刃などを学芸員のお兄さんに教えてもらって、
本当に刀ってきれいなものだと、実は思っていました。


で、現在26歳と半年ですが。
刀鍛冶になるには最低でも5年かかるし、しかも5年後の実地試験のようなものがあって、そこをクリアしないと一人前とはいえない。
でもその前に刀鍛冶の下に出向いて弟子入りを願わずには進めず、さらに弟子入りには相当の覚悟が必要だということ。
言葉では分かっていたけれど、あまり実感として今まで感じていなかった。
それがずっしりと今度は感じた。


なんとなく演劇の道を進んできてしまった自分のこれまでを振り返って、刀鍛冶のなんと厳しいことか。
本当に、今の自分が恥ずかしく思えた。


で、ふと6年間大学に居続けなければいけない医学部生について考えた。
彼らは高校卒業の前に、自分は医者になると決めて、医学部に入る。
もちろん、途中で諦めて他の道へ行くものもいるけれど、
僕の友達で医学部にいった連中は、とにかくも医者になっている。
高校を卒業するよりも前に医者になると決め、
大学に入って医者にならねばならぬと確信し、
研修を経て医者にしかなれない身になる、というのは大変に覚悟のいることで、
僕はそういう友達を本当に大切に思う。


なんとなれば青春を棒に振るということだってあるはずだ。
もちろん、刀鍛冶になる修行や、医者になるそのステップの数々は青春そのものといってもいいだろうけれど、
立派になったその姿を誇れるようになるのは、きっと50年後だったりするのだろう。
もしかしたら、一生誇りなんて持たずに、ただ淡々と来る患者や注文を精一杯打ち込むという人生で終わるかもしれない。
そういう人生を表すに、「青春を棒にふった」などと、僕はどうしていえようか。


彼らは「医者にしかなれなかった」「刀鍛冶にしかなれなかった」と思うんだろうか。



僕は気づけば演劇に進む道に立っているけれど、
まだどこかで他の職業になる道だってある、とどこかで思っている。
海外留学生のための就職活動エージェントの情報を覗いて、
日本の情報ばかりを集めてイギリスの情報も寡聞にして、
まだ26だし、なんて甘えたことをいっている。
現状を全く知らない、奇跡が起こることをどこかで信じている、ただ口だけ言ってて何もしていない、そういう、輩だ。


漫画「バガボンド」の武蔵対吉岡道場七十人の回で、
一人だけ影の薄い剣士が出てくる。
武蔵は彼に向けて「覚悟の出来ていないものは去れ」と叫ぶのだけど、
きっと僕を見ても武蔵は同じことを叫ぶだろうと思った。

僕はロンドンに来ているにもかかわらず、日本で食べ残しておいた鏡餅を帰ったら食べようと思っている。そういう甘えたところをまだまだ大いに抱えているように思う。


こないだ大学院での発表を控えた稽古場で指導教官から「これがMAなんだ」と言われた。
彼女の放つ「This is MA」という言葉には
「甘えてんじゃないわよ」
「おとといきやがれ」
「もっと!もっと!もっと!高く飛べ!速く走れ!深く潜れ!」
そういうニュアンスがビリビリと伝わってくる。


泣きそうになった。
ホントに泣きそうになった。


刀鍛冶になりたいなんてどうして思ったのだろうと、自分を恥じた。

けれど今も、このまま生きていけるのか、僕は不安です。

ポンピドゥーにあるルオーの部屋の絵の一つ。これは未完成品です。
未完成のルオーの絵がぎっしりと埋め尽くした部屋で、僕は今度踊ります。
パリには未完成の作品を並べるギャラリーが他にもあって、
たとえばギュスターヴ・モロー美術館とか。
未完成の魅力というのももしかしたらまだたくさんあるのかもしれないけれど、
いまはただ、未完成という言葉がひたすらに胸に突き刺さります。


戒めの意味も込めて、この日記を公開します。