寺山修司の演劇論集と、思考を止めた日本の演劇界


『俳優たちは「観られる」のでもなく「観せる」のでもなく、「まき起こし」「引きずり込む」のである。』
『(俳優と観客は)作る側と観る側とに分類されるのではなく、二つの「作る側」として分類されるべきだと思うのです』
――寺山修司(1983:59,95)


(追記)ここに書いてある「日本の演劇」っていうのは、僕が日本を出る前の、つまり2005年から2006年の辺りを話しています。当時僕はチケットを取ることが困難だったためにそんなに言うほど芝居を見るところにはいませんでしたが、それでもなんとか観ておこうと思ったものは観ていました。演劇専門雑誌を取り立てて読んでいるわけでもないので、もしかしたらそういう雑誌では何かしらのことが語られているかもしれませんし、以下に書いているコトバも、時代遅れのものかもしれませんが、それでも、ロンドンにいて、インターネットを通じて入ってくる情報を見ているかぎり、大して変わっていないように見えるので、書きました。意見・異論・反論など広く受け付けます。とにかく話してみようじゃないか。というのが僕のスタンスです。



寺山修司の演劇論集を久しぶりに読んだ。
いま自分が考えていることがそのまま載っていた。


もしかしたら、寺山さんが全部やっちゃったから、
寺山さんが全部考えちゃったから、
あとの人はもう考えなくてもよくなって、
そうして芝居の本質や演劇の存在理由とか、そういうの全部取っ払って、
かっこよくていい声の人が俳優になっちゃって、
かわいくてちょっと色気のある人が女優になっちゃって、
作家の書いた本をちゃんとやることにして、
観客も与えられたものを「笑えたり泣けたりする」から「いいもの」にしちゃった。


そこに野田秀樹がやってきて、
「よくわかんないけど、これがおもしろいでしょう、ね!」と言って、
それで、ざっと観客はもともとミーハーだったのに拍車をかけちゃった。
もちろん野田秀樹の真意はそこにはなかったはずだと僕は思う。


テレビが出てきて、
寺山も野田もあまりテレビには出ないからこそ、
いや「今夜は最高」に出ちゃっていたけど、
コアなファンという人間たちが、ただただ、享受する側にいちゃった。
寺山のもっとも「そうであってほしくない」状態に、観客は、今いるんじゃないか。


寺山も、野田も、観客を挑発し続けた。
いま、野田秀樹は作り手を挑発している。
「悪いが俺は先に行く」と言って。


寺山修司の考えていたこと、さらに、野田秀樹の考えていること、
これを超えるようなものを作ることが、僕らには科されている。


死んだ芸術家よりも、年をとった芝居人間よりも、
今、ちゃんとした若い僕らが、芝居について問い直さないといけない。


つまり、戦争をくぐり抜けた世代がせっかく考えていたのに、
戦後ただその思潮の惰性の中で学生運動やってた連中が思考を止めたせいで、
なおざりにされている問題を、2009年になるこの時期の問題を、
60年代70年代の方法で解こうとするのは、ちょっとあまりにも悔しい。
「今まで何やってたんだ、上の世代は」って気分になる。


難しいことを僕らはそれなりに受け止めて、考えないといけない。
考えた上で、それを肉体を持って表現していかなくてはならない。
と同時に、今目の前で起きている現象をそのままに表現していくことが何よりも大切になっているはずなんだ。


90年代の演劇シーンを「静かな演劇の台頭」と名づけたりしていたけれど、
本当の90年代の演劇シーンはその大多数から言って「覗き込む演劇の蔓延」だったのではないか。
2000年代に入ってそれはさらに「客が感動する演劇」となっていった。
この場合の感動というのも、ただただ泣ける/笑えるだけで、
「笑えば元気になれる。泣けば心が洗われる」という合言葉の元にたくさんの演劇作品が作られていた。
そこで考えられていたことは、何かといえば、
「いかにスターを舞台に呼ぶか」
「いかに自分がスターになるか」
「面白いストーリーはどこにあるか」
であって、言ってみればそれはなんとも「他力本願」な考えだったように思う。
観る側も作り手の面白いものを見に行き、
作り手はその中の面白い人に頼りきっていた。


それじゃあ、何にもなんないよと、僕は言いたいのだ。


演劇は、文学ではないともうすでに何度も口をすっぱくして言われているけれど、
それでもやっぱり文学として捉える人間が多い。
「いい脚本だとお客が入る」
「いいせりふをしゃべりたい」
まさにその気持ちはまったく否定できないけれど、
「目の前ですごい人がいる」ということの迫力は、何にも勝ると僕は思う。
舞台を見る観客だけでなく、
その客席の中にもすごい人間がいることを、忘れてはいけないと思う。


演劇は、
画家が絵を描いたり、
彫刻家が彫ったり、
小説家が文章を書いたりするのとは、
まったく違う次元に位置する。

モネの絵を見るときに、そこにモネはいない。
ミケランジェロダヴィデを見るときに、ミケランジェロはいない。
漱石の本を読んでいる隣に、漱石はいない。
けれど、
深津絵里の立つ姿を見るときに、そこに深津絵里はいるのだ。
宮崎あおいの走るときに、そこに宮崎あおいはいるのだ。


そこを僕らは、もう一度考えないといけない。
ニコニコ動画に一緒にコメントしている人を見つけたときの感動を、忘れてはいけない。
Mixiの「最終ログインは5分前」を発見したときに僕らはもっと喜びを感じているはずだ。
携帯のメールを送って、すぐに返事が返ってくることが奇跡であることを忘れてはならない。


けれど、こういうことを、もうすでに考えていた人は1983年に死んでしまった。
それを受け継いだ人、あるいはそれに追随していた人々が、
いったいどれほど深い思考をしたか、僕はいまいちよく知らない。


ヨーロッパにいる人たちが、日本の演劇を語るときに必ず、
鈴木忠志土方巽大野一雄蜷川幸雄と歌舞伎と能になってしまう、その状況を変えないといけない。
僕らは常にアップデートし続ける、今を常に前進している(進化とは言わない)からだ。
ポップカルチャーの日本が、ポップであり続けるには、
その旗振り役を村上隆宮崎駿押井守任天堂小島秀夫に任せてばかりではいけないんだ。
今のリーダーたちはぜんぜん旗を振ってくれなんかしやしない。
むしろ後ろのほうで援護射撃の振りをして、味方を撃ってしまっていることだってあると思う。


逆にイギリスの演劇を日本人が語るときに、シェイクスピアばかりになってしまうのも、
いい加減やめたほうがいい。
ただイギリスも日本と同じような状況になっているのだけど、
それでも半分鎖国状態にあって熟成を重ねているEU圏の影響を受けて、
今の演劇を常に捉えなおし、もがき続けているように僕は思う。
経済的なところでもがいてばかりで、
その根本を見つける もがき をあまりしてこないでいた日本の状況が、なんとなく見えるような気がする。


個々の劇団・公演を見るとすごく素敵なのに、どうして日本の演劇界となると魅力がないように見えてしまうのだろう。
その答えは、たぶん、その個々の劇団が閉じこもっているからだと、僕は思う。


どうして劇団☆新感線は海外に行かないのだろう?もっと受けるのに。
どうして劇団四季だけが全国にいくつも劇場もって、公演できるのだろう?
どうしてワハハ本舗はおもしろくて、同じところのセクシー寄席やオホホ商会はそれに及ばないのだろう。


世界ツアーはもう夢ではないはずだ。
お金があれば、なんとかなるはずなんだ。
あとは、その「世界」に行ってみようかという、それだけの気持ちでこれるはずだと思う。
行った先で成功するかどうかは、わからないけど、
金銭的なところでとんとんにするのは、そこまで難しいことじゃないと思う。
あとは、その公演を一回きりの打ち上げにするんじゃなく、
毎年恒例の(あるいは毎月恒例の)お祭り、縁日にすればいい。
続けることは本当に大変だし、搾取して消費して捨てるだけの東京にいると、
疲れきってしまうかもしれないけれど、じゃあ、疲れない方法を、東京で考えれば良いのに、と思う。


疲れない社会を。循環できる社会を。
沈黙した後、外に出る扉がきちんと開いている社会を。
演劇を通じて、僕らは少なくとも、そういう社会の潮流を作ることはできないだろうか。



円高もあることですし、
ちょっと試しに行ってみたらどうですか。海外。